カリブ海最大の恐怖「バルバドスの動く棺桶」事件を現地調査、ついに謎が解けた! 衝撃の真実と黒人奴隷の悲しい歴史に震える!!


■新たな疑問と可能性

カリブ海最大の恐怖「バルバドスの動く棺桶」事件を現地調査、ついに謎が解けた! 衝撃の真実と黒人奴隷の悲しい歴史に震える!!の画像5調査中 写真提供:羽仁礼

 しかし、ここで新たな疑問が生じた。階段の幅は90センチもない。これでは、伝えられているように8人もの大人が棺をかついでしずしずと納骨所内に入っていくことはどう考えても不可能である。一体どういうことなのだろう。動く棺桶の話は、すべて何者かの創作だったのだろうか。総督と一緒に現場を目撃したというルーカスの証言も虚偽だったのだろうか。それとも、ルーカス本人が創作に加担していたのだろうか。納骨所を所有していたトマス・チェイスの棺が鉛で内貼りされていたという証言も、本当ではなかったのだろうか。

 そこで、鉛で内貼りされた棺の重さについて調べてみた。例えばダイアナ妃の棺もこの種のものであったが、その重さは560ポンドほど、つまり252キロ程度となっている。確かに、この重さを担いで運ぶとなれば、大人が8人近く必要だろう。しかし、床をひきずるとか、片側だけ持ち上げてひっくり返すとなればどうだろう。1人では無理だとしても、屈強な力自慢が2、3人いれば可能かもしれない。

 そうだとすると、次のように考えられないだろうか。納骨所の封印がそれほどしっかりしたものでなかったと仮定すれば、密かに内部に侵入した何者かが、人力で棺を動かしたという想定も不可能ではない。では、この狼藉が人間の仕業だとすると、何者が、何のために棺を動かしたのか。

■黒人奴隷たちの歴史、そして導き出された答え

 いたずらだとすれば、虐待に耐えかねた黒人奴隷など、チェイス家に恨みを持つ者の存在がまず考えられる。他方、事件が1812年に最初に始まり、1816年でいったん休止している点も気になる。実はバルバドスでは、1816年に「バッサの反乱」と呼ばれる大規模な黒人奴隷反乱が起きているのだ。

カリブ海最大の恐怖「バルバドスの動く棺桶」事件を現地調査、ついに謎が解けた! 衝撃の真実と黒人奴隷の悲しい歴史に震える!!の画像6バッサの像 画像は、「Wikipedia」より引用

 バルバドスをはじめとするイギリス連邦では、1807年に奴隷貿易が禁止され、アフリカから新たな黒人奴隷の流入はなくなった。しかし、奴隷制度そのものは存続し、黒人奴隷たちの窮状は変わらなかった。逆に、奴隷貿易の禁止に続いて自分たちも解放されるかもしれないという期待が裏切られたとき、むしろ黒人たちの不満は高まり、自分たちの自由は闘い取るしかないと考える者も現れた。

 その中心となったのが、バッサという黒人奴隷である。バッサはアフリカから送られてきた奴隷といわれているから、1807年以前に島に売られてきたものと考えられる。奴隷たちは何年もかけて、密かに反乱の計画を話し合った。この話し合いには洞窟や、農場内にある離れなどが使用されたが、ある程度の広さがあって人眼につきにくい地下の納骨所などは、陰謀をめぐらす場所として格好の舞台ではないだろうか。

カリブ海最大の恐怖「バルバドスの動く棺桶」事件を現地調査、ついに謎が解けた! 衝撃の真実と黒人奴隷の悲しい歴史に震える!!の画像7内部 写真提供:羽仁礼

 もしかしたら一般に伝えられるところと異なり、チェイス家の納骨所は比較的容易に内部に侵入できたのかもしれない。だとすれば、それに気づいた黒人奴隷たちが、この場所を謀議の舞台としたことは充分考えられるのではないだろうか。2メートル四方の狭い空間とはいえ、ある程度の人数は収容できるし、墓地の、それも地下の納骨所ともあれば、夜間あまり人も訪れないだろう。しかも1812年、最初に異変が確認されたときには、中にあった2つの棺は、まるで場所を開けるように奥の方に追いやられていたのだ。

 バッサたちは、1816年4月14日、イースターの祝日に一斉に反乱を起こした。ほとんどの農場では、黒人奴隷が農場主たちを追い出した程度であったが、バッサは400人ほどの黒人奴隷やカラードと呼ばれる有色人種を率いてイギリス軍や農場主たちの私兵と戦った。しかし、ほとんど武器を持たない黒人たちの反乱は、わずか3日で鎮圧され、バッサも戦闘で死亡した。黒人たちの死者数は、後日共犯者として処刑された者たちも含め1000人近くに上るという。それに対し、白人側で公式に戦死者として記録されているのは、たったの1人。それこそ、1816年11月17日にチェイス家納骨所に葬られたサミュエル・ブリュースター二等兵その人だった。

 反乱自体は鎮圧されたが、その残党は一部残っていた可能性がある。サミュエル・ブリュースターの遺体が納められたときに棺が動いていたのも、反乱の残党がかつて謀議をめぐらした場所を訪れたとすれば説明できるだろう。

 他方1820年、バルバドス総督が内部を覗いた時にも棺は動いていたという。これについては奴隷反乱との関係は考えにくい。ルーカスの手記が信用できるとすれば、何らかの超自然的要素が働いた可能性も残るだろう。

カリブ海最大の恐怖「バルバドスの動く棺桶」事件を現地調査、ついに謎が解けた! 衝撃の真実と黒人奴隷の悲しい歴史に震える!!の画像8棺桶の配置を示すパネル 写真提供:羽仁礼

■恐怖は終わらない

 実は、動く棺桶の伝説はバルバドス以外の場所でもいくつか伝えられている。

 まずは1815年、ロンドンの月刊誌『ヨーロピアン・マガジン』9月号に、イギリスのスタントンの納骨所で棺が動いたという話が掲載されている。バルバドスの事件を調査した民話学者アンドリュー・ラングも、1844年にバルト海のオーセル島の公共墓地で起きた同様の事件について述べている。また1867年の学術誌『ノーツ・アンド・クエリー』には、同じくイギリスのグレットフォードでの事件が紹介されている。

 そしてバルバドスでも、もうひとつ、動く棺桶事件の報告がある。そしてこの事件には、かの秘密結社フリーメイソンが関係しているのだ。

 事件は1943年に起きた。フリーメイソン会員であるマックスウェル・シルストーンは、バルバドスにおけるフリーメイソンの系譜を調査し、開祖ともいうべきアレクサンダー・アーヴィンの遺体がブリッジタウン市内の聖マイケル聖堂の墓地にあると推測した。

 そして、折から同じ教会にあるマクレガー総督(前述の総督とは別人)の墓が修理されると聞いたシルストーンは、フリーメイソンの仲間たちとともに総督の墓へと赴き、その壁を開こうとした。そして、ゴミやレンガを取り除いていると何かの金属が壁を塞いでいた。なおも壁を開いてみると、地面に安置されているはずの総督の鉛の棺が壁によりかかっていたのだ。墓所の奥にはアーヴィンのものらしき頭蓋骨と骨があったが、本人のものと確認するまでには至らなかった。

 なお、チェイス家納骨所での事件に登場したカンバーミア総督についても、奇妙な後日談が残る。彼は1891年に死亡したが、その葬儀の際中、邸宅の図書館で写真が撮られた。現像してみると、死んだはずの総督本人の姿が写っていたというのだ。


羽仁礼(はに・れい)
一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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