【閲覧注意】ナチス「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレの鬼畜双子実験、狂気の全貌! 血液を大量採取、謎の薬品注射…!
■コー氏の受難とメンゲレの逃亡
メンゲレの常軌を逸した実験は、やがてコー氏にも及んだ。
彼女は大量の血液を抜き取られ、同時に正体不明の薬品を右腕に注射された。
「5回の注射を受けました。夜になると、高熱が襲ってきました。私は震えていました。腕と足は腫れ上がり、おかしな大きさになりました。朝になるとメンゲレ博士とケーニッヒ博士、それと3人の医者が来て、私の発熱の推移を確認したんです。メンゲレ博士は笑いながら、こう言いました。『まだ若すぎるよ、気の毒に。生きて2週間というところだね』」
(コー氏)
メンゲレの見立てに反して、コー氏は生き延びた。終戦間際、ソ連軍がアウシュビッツへ攻め寄せたとき、彼女ら姉妹は収容所で唯一の両者とも健在な双子となっていた。
囚人たちが解放される混乱の中、メンゲレは西へ行方をくらましたが、すぐにアメリカ軍の手で捕らえられた。ところが、彼は親衛隊の一員とは認識されず、ヨーロッパからの脱出に成功する。
それから1979年に息を引き取るまでの間、牢につながれることもなく、南米で自由な暮らしを満喫したのである。
一説にメンゲレは、逃亡先において、彼が固執した支配民族についての研究を成功させたと信じられている。ブラジル北西部の奥地に位置するカンディド・ゴドイの村では、メンゲレが滞在していた1960年代より、ドイツ系移民の間で双子の出生が相次いだ。その双子たちは決まって、鮮やかな金髪と、青い瞳をもって生まれてきたという。
■“許す”ということ
メンゲレの死から、さらに年月が経過した1995年。謎の注射によって腎臓に重い障害を抱えつつ、苦難を共にしたミリアムを実験の後遺症で失っていたコー氏は、強制収容所の解放50周年を記念する式典に先立ち、困難な決断を下した。
アウシュビッツを運営していた医師のひとり、ハンス・ムンクとの面会に応じ、彼と共に現地を訪問することを決めたのだ。
コー氏は語った。
「私は家族を死に追いやったガス室を監督していた医師を許しました。加えて私には、死の天使、メンゲレさえも許す力があることを実感しています。 いま、私はアウシュビッツの犠牲者ではなくなりました。許すということは、自らを癒すこと。私は許しこそが、現代医学の奇跡にあたると信じています。あなたにとっての最大の敵、自身を傷つけた人を許してみてください。それはあなたの魂を癒し、解き放つでしょう」(コー氏)
収容所の記憶は、いまや苔むした岩の割れ目から断片をのぞかせるばかりだ。忌むべき医師たちの行状も、コー氏の許しに、殉ずるほかない。
倫理を無視した研究の果てに、メンゲレらがどのような成果を得たのか、誰も知り得ない。ただ、彼らのなした行為、彼らの“やりたい放題”を招いた環境を、二度とよみがえらせてはならないという教訓だけが、私たちに残されている。
参考:「Mysterious Universe」、ほか
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2024.10.02 20:00心霊【閲覧注意】ナチス「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレの鬼畜双子実験、狂気の全貌! 血液を大量採取、謎の薬品注射…!のページです。ナチス、人体実験、双子、Forest、ホロコースト、アウシュビッツ収容所、ヨーゼフ・メンゲレなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで