月刊『ムー』に秘められた“知られざる精神”を『ムー』創刊顧問・武田崇元が暴露! オカルト界重鎮インタビュー!

 来年は月刊『ムー』創刊40周年ということで、『ムー展』も好評開催中(池袋「PARCO MUSEUM」にて、10月29日まで)である。TOCANAでは、1979年、『ムー』の記念すべき創刊に顧問としてかかわり、いまも日本オカルト界に君臨する重鎮・武田崇元に、再び話を聞いてみたいと思う。<これまでのインタビューはコチラ

 武田氏は、TOCANAバージョンも好評な『カシーナ』を始めとするブレインマシンの開発も手掛け、欧米流のポップオカルトの最新動向を日本に伝えると同時に、自ら経営する出版社・八幡書店から『竹内文書』『東日流外三郡誌』などの貴重な文献を復刻し、大石凝真素美の全集も手がけ、出口王仁三郎の再評価のきっかけも作ってきた。

 スピリチュアルやニューエイジに興味を持ちつつも、「癒し」や「リラクゼーション」では満足せず、60年代に実体験した日本の極左と極右の狭間から生まれる古代史の新解釈にオカルトの可能性を見出し、戦前に激しい弾圧を受けた宗教家・出口王仁三郎に“日本のノストラダムス”とでもいうべき未来の予言者を重ね合わせていく。

 その独自のオカルト思想は、高橋洋監督の映画タイトルにもなった「霊的ボリシェヴィキ」という言葉にも現れている。そこには、異端やペイガニズムのオカルト思想と響き合うカウンター精神が貫かれている。前回に続き、武田崇元の過激なオカルトトークに酔ってみたい。

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※インタビュアーはケロッピー前田

Takeda_Sugen_Kasina_02.jpg武田崇元氏/ケロッピー前田撮影

 ここまで、80年代から武田さんが手掛けてこられたブレインマシン開発の集大成ともいえる『カシーナ』、そして、脳裏に焼き付く強烈なタイトルで大いに話題となった高橋洋監督の映画『霊的ボリシェヴィキ』について聞きました。改めて、『ムー』創刊の時代から現代までを振り返るといかがでしょうか?

「80年代、初期のブレインマシン、シンクロエナジャイザーを紹介したのも『ムー』が最初でした。当時、新しいものはまず『ムー』の読者に紹介してみる感じだった『ムー』のファンには芸能人やミュージシャンも多かったし、テレビ関係者も『ムー』の記事をみてくれた。反響があれば、すぐにテレビで取り上げられたり、有名タレントがネタにしてくれたんです」

Takeda_Sugen_Kasina_03.jpgブレインマシン「カシーナ」を装着する武田氏

 横尾忠則がピラミッドテントで瞑想したり、そういうことが普通にカッコよかった時代でしたね。

「そうそう、テレビで取材されると日本全国で話題になるから。たとえば、六本木にブレインジム『サイ』が話題になると、似たようなものが大阪とか、日本全国のあっちこっちにできていた」

 当時のオカルト人気って、70年代からの流れで凄かったじゃないですか。僕は子供時代にリアルタイムに体験しましたけど、五島勉の『ノストラダムスの大予言』の空前の大ヒットに始まり、スプーン曲げの超能力者ユリ・ゲラー来日、ネッシー、ツチノコ、宇宙人と、テレビがブームをけん引しました。そこで生まれたオカルトファンを一手に引き受けたのが『ムー』だったのでは?

「確かにそうだけど、当時すでにオカルトと呼ばれるものを扱った雑誌って、たくさんあった。でも、『ムー』が売れ始めたのは、総力特集を始めてから。どの雑誌も断片的なオカルト情報を寄せ集めただけだったけど、読者が求めていたのは、世界や宇宙や歴史をめぐる壮大な物語でした。そういう物語性を重視したことが『ムー』の成功の秘密だったね」

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