【3.11から8年】被災者が魅せる“激やば盆踊り”のグルーヴ感が泣けるほどアゲアゲ! 公開からジワジワ話題のドキュメンタリー映画『盆唄』を見よ!

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■人間にとって歌とは、音楽とは何なのか?

 

※「フクシマオンド」映画より抜粋

 これまでも人間は土地に根ざして生き、歴史を重ね、文化を育んできた。その根を絶たれた人間にとっての歌や音楽とは、おそらく、その土地に生きた人間の精神、文化を記憶したメディアなんじゃないだろうか。『盆唄』を観てそう思う。 

『盆唄』では、ある一家の歴史と各世代が奏でる盆唄を紹介している。ハワイに盆唄を伝えた日系一世の1人であるトミジロウ・渡邉さん。その孫である三世のアルバート・サダオ・渡邉さん。孫でありマウイ太鼓代表である四世のケイ・サチコ・フクモトさん。そして、渡邉家の本家にあたる渡邉功さんだ。

 劇中、ハワイ島とオアフ島、そして、マウイ島のボンダンスで奏でられる「フクシマオンド」と福島市の盆踊りで歌われる盆唄は、リズムやテンポ、アレンジ、生まれるグルーブの違いはあってもルーツは同じ。言い換えれば、同じ血脈に乗って伝えられて来たことを濃厚に感じさせる。進化生物学者・動物行動学者である『利己的な遺伝子』の著者、リチャード・ドーキンスの言葉を借りれば、歌、そして音楽は、人間の営みの物語、その土地と人々のDNAのようなものを時空を超えて運ぶ「乗り物」のようなものなのかもしれない。

©2018テレコムスタッフ

■『盆唄』を生んだ被災者との邂逅

 

 この映画が生まれた背景にアソシエイトプロデューサー・岩根愛の存在があることは先に述べた。岩根さんがハワイの盆唄を福島につなげるに至った決定的なきっかけは、ボンダンス会場で福島の若者たちに出会ったことだった。

「2011年の夏に原発事故の被災者たちがマウイに避難してきていて、そのなかに双葉郡の子たちが30人くらいいたんです。ボンダンスの会場でフクシマオンドがかかった時に、その子たちが『この歌知ってる!』って急に駆け出して踊り出したんですよ。『もう盆踊りはできないと思っていから、ハワイで踊れるとは思わなかった』って。その姿を見た瞬間に、この歌は本当に福島から渡ってきたんだということを実感したんです」(岩根)

「その時、目の前の10代の子たちの存在が自分にはまぶしいというか、この感じは何なんだろう? っていう思いがあった。東京出身の私にはそういう唄がない。そういう『唄』のある暮らしがあることを初めて知って、もっと知りたいって本当に思いました。日本国内で避難生活をしている被災者の人たちにハワイのボンダンスのことを知ってもらいたいとも思ったんです」(岩根)

 中江裕司監督を口説いたのも岩根さんだった。2人の出会いは、今年結成73年を迎える石垣島のバンド、白百合クラブの東京公演を追った中江監督のドキュメンタリー『白百合クラブ東京へ行く』(2003年)のスチール撮影を岩根さんが務めたことがきっかけだった。

「中江監督の全部の映画から音楽に対する愛を強く感じていたんです。私は写真を撮っているけれどフクシマオンドのことは映像作品にするべきだと思っていた。というか、中江監督がいたからですね。中江監督の作品をずっと観てきて、どうしても撮ってほしいと思ってお願いしたんです」(岩根)

 そんな岩根さんからの熱烈なオファーを、当初中江監督は断り続けた。

「そのころハワイのことは知らなかったし、福島とも関わりがなかった。震災後、いろんなドキュメンタリストが福島に入ったけれど、僕はそういうことはやめようと思っていたんです。僕は自分に縁のある、例えば沖縄をテーマにはするけれど、わざわざ福島にネタを探しに行く、みたいなことはやりたくなかった。そんなときBEGINから「ハワイの沖縄系移民のことをやってほしい」と頼まれて、ドキュメンタリーを作ったんです。そこで日系移民にご縁を感じて『よし、やろうか』と」(中江監督、『盆唄』プレス資料より)

『盆唄』は、歌と音楽を軸に、時間と場所、関わりのある人それぞれの思いが立体的かつ必然的に結びつく中で紡ぎ上げられた、稀有なドキュメンタリーだと言っていいのだと思う。

コメント

1:ドリフ 2019年3月8日 16:35 | 返信

盆回り

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