京都の朝鮮人スラム街「ウトロ地区」を村田らむが取材! “在日のふるさと”で攻撃的看板も発見…現在は!?

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――B級スポット、樹海や禁断の土地、ホームレス取材を得意とするルポライター村田らむが寄稿!

 勝手にはじめた、令和の時代まで残したかったけど、なくなってしまった場所第二弾、京都にあったウトロ地区を紹介したい。

 京都府宇治市伊勢田町にあった、朝鮮人系のスラム街だ。

 そもそもは第二次大戦中に飛行場と航空機工場の建設に従事する朝鮮人労働者の居住地域だった。終戦後に、そのまま住み続けて今にいたる……という場所だ。

 戦後、ずっと権利問題でごちゃごちゃとしていた。2019年で戦後74年だから、ずいぶん古くから長きに渡り揉めていた街である。当時の当事者はだいたい亡くなっているだろう。

 そこらへんのことは書くと長くなるのでザックリ割愛して進めていきたいと思う。

 朝鮮系のスラム街というと、東京新宿の大久保や、大阪の鶴橋のようなコリアンタウンを思い出す人が多いかもしれない。それらは『商業型』のスラム街である。たくさんのお店が軒を連ねる商店街である。

 ウトロ地区はいわば『居住型』のスラム街である。つまり、ベッドタウン、普通に生活している人たちがいる街である。

 商店街よりベッドタウンの方がハードルが高いのは自明の理である。

 初めてウトロ地区に足を運んだのはもう5年くらい前だと思う。

 近鉄の伊勢田駅で下車してウトロ地区に向かっていった。ウトロの入り口だと言える場所に建っていた一軒家には、看板が何枚も展示されていた。『オモニのうた(集会宣言)』という詩のようなものがあったので読んで見る。

京都の朝鮮人スラム街「ウトロ地区」を村田らむが取材! 在日のふるさとで攻撃的看板も発見…現在は!?の画像1

『いやや!
どんなことがあっても
私はよそへは行かないよ
あの世からお迎えが来るまでは
なんでか、わかるかね?
それはね
ここは私の生きてきた「ふるさと」なんだ
〜中略〜
このまちを離れたら
私は私でなくなる……
二〇〇二年二月二十四日
「われら、住んでたたかう ウトロ団結集会 参加者一同」』

京都の朝鮮人スラム街「ウトロ地区」を村田らむが取材! 在日のふるさとで攻撃的看板も発見…現在は!?の画像2

 う……めんどくさいオーラが漂っている。いやや! からはじまるうたってすごい。バッキリ否定スタート!!

 となりには『愛は地球を救う』的な絵が描いてある。真ん中がチマチョゴリを着た女性、白人、黒人、和装の日本人、子供の男女の絵が並ぶ。

 他にも

『私たちがめざす新しいウトロ』

『ウトロに愛を』

 などの文言が書かれた看板が貼られている。

 少し進んだところには、赤い字で書かれた少し攻撃力の高い看板もあった。

『ウトロは在日のふるさと
ウトロは反戦の記念碑
ウトロを無くすことは在日の歴史を無くすこと
ウトロを無くすことは、日本の戦後を無くすこと
ウトロを無くすことは日本人の良心を無くすこと』

京都の朝鮮人スラム街「ウトロ地区」を村田らむが取材! 在日のふるさとで攻撃的看板も発見…現在は!?の画像3

 看板が出されている家はかなり年季が入った建物である。黒ずんだ壁には

『特攻』

『喧嘩上等』

 などと、頭の悪い落書きが書いてあった。

 なぜかニューヨーク・ヤンキースのマークも書いてある。ビックリするほど関係ないだろ。他所の地域から、わざわざここに来て書いたのだったら、かなりのヒマ人だ。

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