マジで恐ろしい「ツタンカーメンの呪い」が招いた7つの死! 病死・射殺・自殺・焼死・怪奇メモ… 今も深まる謎!
日本では現在、東京・国立科学博物館で特別展「ミイラ」が開催中だ。内容の充実ぶりから、連日活況を呈しているという。しかし、軽々しくミイラに近づくことは時に悲劇を招くこともある。最も有名なミイラの呪いは、もちろん「ツタンカーメンの呪い」だろう。この伝説は、7つのミステリアスな死によって生まれた――。
■邪悪な力がカーナボン伯爵を死に至らしめた
まず記録に残された最も古い例は、1550年にアレクサンドリアでミイラを2体購入し、母国ポーランド行きの船に積み込んだニコラジ・ラジウィル王子だった。
王子の乗る船で、古代エジプト人の亡霊の目撃が相次ぎ、激しい嵐によって船が沈む恐れが出た時、ラジウィル王子は2体のミイラを船外に投げ捨てた。嵐はすぐ収まり、亡霊は現れなくなったと言われる。
しかし、ファラオの呪いの伝説が本当に始まったのは、1922年のツタンカーメンの墓の発掘からであった。
エジプト学者ハワード・カーターが、カーナボン伯爵がスポンサーになって行っていた発掘作業で、王の手付かずの墓を見つけた。
そのことを小説家のマリー・コレッリがカーナボン伯爵に宛てて手紙を書いた。その中でコレッリは、封印された墓を開くことで起きる危険をカーナボン伯爵に警告したという。
しかし警告もむなしく、その2週間後カーナボン伯爵は死亡した。
遺体解剖では、伯爵は髭剃りをしている時に、頬にあった蚊の刺し痕を傷つけ、そこから感染症が広がったと判断された。
一説には王のミイラから包帯が取り除かれた時、ミイラにあった皮膚の傷は、カーナボン伯爵の頬の傷と大きさも位置も正確に一致したといわれる。またカーナボン伯爵が死んだまさにその瞬間、カイロで停電があったともいわれている。
当時、神秘現象に興味を持っていた作家のアーサー・コナン・ドイルも「邪悪な力がカーナボン伯爵に致命的な病を引き起こしたのではないか」という独自見解を発表した。
それでも、呪いの物語がカーナボン伯爵だけで終わっていたら、単なる「人のうわさも75日」で済んでいただろう。しかしその後も、あり得ないような偶然の一致が連続して起こった。
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2024.10.02 20:00心霊マジで恐ろしい「ツタンカーメンの呪い」が招いた7つの死! 病死・射殺・自殺・焼死・怪奇メモ… 今も深まる謎!のページです。呪い、ピラミッド、古代エジプト、ツタンカーメン、不審死、三橋ココ、ファラオなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで