【閲読注意】言うと、殺される… ジャマイカの絶対的タブー「オービア」とは!? オカルト的に深すぎる闇と真実!
オービアという名称の起源については諸説あるが、いずれも、西アフリカの特定部族の言葉に求める点では共通している。つまりオービアも、ハイチのヴードゥーやブラジルのマクンバと同じく、アフリカから持ち込まれた土俗信仰が持ち込まれ、独自の発展を遂げたものと考えられる。
オービアの術者はオービアマンと呼ばれ、彼等は薬草による治療や占いを行ったりする傍ら、毒薬を調合して相手を病気にしたり、呪いをかけたりもする。19世紀のバルバドスの宣教師が書き残したところによると、オービアマンたちは超自然的存在を呼び出したり、悪魔と交信したりすることもでき、黒人奴隷達はオービアマンを頼ることもあるが同時に恐れてもおり、彼等の呪いで怪我をしたり殺されたりすることがあると信じていたという。
当然オービアは邪悪なものと考えられ、カリブ海諸国のほとんどはこれを犯罪とし、死刑または国外追放という重罰が科されていた。つまりは、支配層である白人もオービアをひどく恐れていたということであろう。
こうした諸国でオービアを罰する法律が廃止されはじめたのは1980年以降のことであり、最近では新聞にオービアマンの広告も載るようになった。しかし、こうしたオービアマンの宣伝を見ると、多くは占い師に毛の生えたようなことを行っているようである。
他方ジャマイカでは、オービアはいまだに犯罪とされている。
ジャマイカでオービアが禁じられたのは、1760年のタッキーの反乱が原因であった。
ジャマイカでは歴史上何度も大規模な奴隷反乱が起きているが、タッキーの反乱は指導者の名がタッキーだったのでそう呼ばれる。
タッキーは現在のガーナから連れてこられたアカン族の奴隷で、現地では族長だったらしい。反乱の企ては、ジャマイカ全土のアカン族奴隷の間で密かに練られ、1760年4月7日復活祭の月曜日、奴隷たちはいくつかの農場を占拠して白人農場主を殺害した。この最初の成功に刺激され、タッキーの元には大勢の奴隷がはせ参じ、他の地域でも別の指導者に率いられた反乱が続発した。植民地政府がこうした反乱を完全に鎮圧するには翌年までかかった。
このタッキーの反乱にはオービアマンたちも加担し、自分達が処方した秘薬を用いれば戦闘で傷つくことはないと主張して、奴隷達を鼓舞した。もちろん彼等の薬にそんな効果はなく、それを知った奴隷達は彼等を殺し、タッキーも最後には処刑されたが、その直後からジャマイカではオービアが犯罪とされ、現在に到る。
ところが、民衆レベルではかなり公然とオービアが行われており、人々は運勢を占ってもらったり、誰かに呪われたと感じたときはそれを解いてもらったりなど、密かにオービアマンに頼っているらしい。
オービアは、かの有名なセイラムの魔女裁判にも、間接的に影響しているようである。
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2024.10.02 20:00心霊【閲読注意】言うと、殺される… ジャマイカの絶対的タブー「オービア」とは!? オカルト的に深すぎる闇と真実!のページです。呪い、魔術、ジャマイカ、奴隷、魔女裁判、カリブ海、ブードゥー、タッキーの反乱、オベアなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで