【閲読注意】言うと、殺される… ジャマイカの絶対的タブー「オービア」とは!? オカルト的に深すぎる闇と真実!
セイラムの魔女裁判はアメリカ合衆国史上最大の魔女裁判とも呼ばれ、1692年2月にマサチューセッツ州セイラム村(現在はダンヴァーズ町)で発生した。
このとき、村に住む数名の娘たち、村の司祭であるサミュエル・パリスの娘エリザベス・パリス、その従姉アビゲイル・ウィリアムズ、村の有力者トマス・パットナムの娘アン・パットナム他、数名の娘たちが奇妙な行動をとりはじめた。奇妙な言葉を発しながら家の中を走り回ったり、痙攣しながら姿勢で地面に倒れたり、突然暴れ出したりし始めたのだ。
地元の医者が調べたところ、少女たちに肉体的な異常は見られなかった。そこでサミュエル・パリスをはじめとする大人たちは、少女たちが悪魔に取り憑かれたものと考えた。
大人たちに追求された娘らは、自分たちに魔法をかけた魔女として、パリスの奴隷であるティチューバ、それに2人の老女サラ・グードとサラ・オズボーンを魔女として告発した。
捕らえられたティチューバは拷問を受けた結果、自ら罪を告白し、少女たちは次々と村人を魔女として告発した。その結果、最終的には150人近くが逮捕された。
事件当初、セイラムを含むイギリス植民地では総督が不在となっていたので、裁判はウィリアム・フィップス総督がボストンに着任した5月になってから開始された。魔女裁判のための特別法廷が設けられ、副総督ウィリアム・ストートンが判事に任命されたが、少女たちは法廷で何者かが悪魔を送って自分たちをつねっていると述べたり、突然地面を転げ回ったりしながら、自分たちを苦しめている者をその場で名指しした。ストートンはほとんど少女たちの証言のみに基づいて逮捕者を次々に有罪とし、最終的には19名が絞首刑となり、1名は拷問中死亡、5名が獄死するという大事件となった。
しかし10月になると少女たちの証言に疑問を抱く者も増え、フィップス総督自身も裁判のやり直しを命じた結果、1693年5月になって収監者全員が恩赦により釈放されて事件は終結した。
この事件は現在では、典型的な集団ヒステリーの事例として引用されることが多く、アメリカの黒歴史の一つともなっている。少女たちの一人アン・パットナムが14年後に、自ら偽りの証言をしたと認めていることからも、事件に根拠がなかったことは明らかとなっている。
少女たちの悪ふざけがこれほどの大事件に至った背景には、当時植民地を支配していた清教徒の終末論的な世界観や、総督が不在であったというような政治的要因、さらにはセイラム村内部での人間的確執などが指摘されている。
他方、最初に魔女として名指しされたティチューバが、彼女らに西インド諸島に伝わる魔術の話をし、このことが少女たちを奇妙な行動に駆り立てる原因になったとも言われている。
ティチューバは黒人奴隷とされることもあるが、実際は南米原住民の血筋らしく、バルバドスで生まれ育ったとされている。じつはサミュエル・パリスはセイラムに来る前に、一時バルバドスで農場を経営していたことがあり、その時からパリスに使えていたのがティチューバなのだ。
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