「あの時、看取れなくてごめんね」心がチクチク痛む猫の記憶とは? そして樹海と自殺と母の病気(末井昭)

元気だった頃の〈黒ほっか〉君(撮影:神藏美子)


 〈黒ほっか〉は黒白のハチワレで完全な野良でした。ハチワレの黒い部分が鼻の所まで下がっていて、黒いほっかむりをしているような猫なので〈黒ほっか〉と呼んでいました。野良のわりにはおっとりしていて、ごはんを催促することもなく、〈顔デカ〉と張り合っても自分から引き下がるような猫でした。家猫だったことがあるのかもしれません。

顔の大きい〈顔デカ〉(撮影:神藏美子)


 〈ねず美〉は3回出産して合計8匹の子どもを産みました。その子どもの〈タバサ〉も、1年ほどして2匹の子どもを産みました。合計10匹の父親は、〈顔デカ〉と〈黒ほっか〉であることはほぼ間違いありません。

 〈ねず美〉が最初に2匹出産した時、両方とも黒猫だったので、父親は〈黒ほっか〉だと思っていました。ぼくらがそう思っていると、控え目な〈黒ほっか〉が「はい、私が父親です」と言わんばかりに家に上がり込んで来て、なかなか出て行きません。ぼくらは婿養子みたいに思ってそれを黙認していたのですが、生まれた子猫が大きくなるにつれキジ柄が現れてきて「な〜んだ、父親は顔デカか」ということになり、〈黒ほっか〉にはひとまず出て行ってもらうことにしました。

 〈黒ほっか〉は、それから2年ほど我が家の庭に来ていましたが、急速に年老いてボロボロの猫になって行きました。その頃、白と茶で情けない感じの老猫も来ていて〈ボロ〉と呼んでいたのですが、その〈ボロ〉よりボロな感じになりました。口が爛れていたので病気に罹っていたようです。

見るからにボロの〈ボロ〉


 弱った〈黒ほっか〉は、再び家の中に入って来るようになり、ソファーや座布団の上で寝るようになりました。その当時、我が家には〈ねず美〉〈タバサ〉〈たび〉の3匹のメス猫がいて、3匹とも避妊はしていても〈黒ほっか〉を受け入れているようだったので、うちで看取ることになるのかなと思っていました。

 ところが、敏感な〈ねず美〉が激しく拒否反応を示すようになったのです。〈ねず美〉は〈黒ほっか〉が病気に罹っていることを見抜いていたようです。自分達の身を守るため、さも出て行けとばかりに、〈黒ほっか〉に向かって唸り声を上げるようになったので、仕方なく〈黒ほっか〉に再び出て行ってもらうことになったのでした。可哀想だったのですが、野良のキャリアを生かして何とか生き延びて欲しいと思いました。あの時のことを思うと、今も心がチクチク痛みます。

 春日さんが、猫には身を隠す気転や知恵が本能として身についていて、その能力に感嘆すると書かれていましたが、ぼくも同感です。そのことにまつわる〈顔デカ〉の話ですが、これもちょっとした罪悪感として残っていることです。

 ぼくらが留守中に、〈顔デカ〉もよく家に入っていました。入って来て食べ残しのごはんを食べるぐらいならいいのですが、マーキングで必ずどこかにオシッコをするので困っていました。ぼくらが家に帰ると、脱兎のごとく逃げていたのですが、ある日の夕方、逃げもしないでリビングにいたことがあります。逃げ遅れてしまったのか、〈黒ほっか〉のように我が家に住もうと思ったのかわかりませんが、厚かましいような気がしたので懲らしめてやろうと、ドアを閉めて逃げられないようにして、新聞紙を丸めて〈顔デカ〉の背中を叩いたら、ものすごい勢いで部屋の中を走り回り、出口がないことがわかるとキッチンのほうへ行き、暴れて醤油や酒の瓶を倒し、倒れた瓶を片付けている間に〈顔デカ〉は消えていました。出口は閉まっているので、どこかに隠れているのだろうと、ソファーの下を見たりテレビの裏側を見たりしましたが、どこにもいませんでした。おかしいと思いながらも、どこからか逃げたのだろうと思って、そのことは忘れていました。

 次の日の午前中、庭に面した和室の押入れから物音がするので、押入れの襖を開けてみたら〈顔デカ〉と目が合ったのでびっくりしました。〈顔デカ〉は押入れから飛び出し、もの凄い勢いで開いていたガラス戸から庭に逃げて行きました。

 〈顔デカ〉はなぜ押入れにいたかということですが、リビングと和室は繋がっていて、障子で仕切っています。その障子が少し開いていて、押入れの襖も気が付かないぐらい少し開いていたので、そこから逃げ込んだようです。そして一晩中そこで潜んでいたのです。

 〈顔デカ〉が逃げた後、押入れが臭いので、襖を外して〈顔デカ〉がいた辺りを見たら、置いていた座布団の上に2段重ねで下痢便をしていました。美子ちゃんは抗議の下痢便だと言うのですが、自在に便の質を変えたり出来ないと思うので、ストレスから来る下痢便だったと思います。2段重ねだったので、よほど恐かったのではないでしょうか。

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