「あの時、看取れなくてごめんね」心がチクチク痛む猫の記憶とは? そして樹海と自殺と母の病気(末井昭)

病気になった〈黒ほっか〉君(撮影:神藏美子)


 〈顔デカ〉も〈黒ほっか〉も、もうこの世にいないと思いますが、2人、いや2匹のことは時々思い出しています。思い出として残してくれて、我が家に来てくれてありがとうと言いたい気持ちです。そして〈黒ほっか〉には、「あの時、看取れなくてごめんね」と言いたいです。結局はそう思うことで、自分の罪悪感を薄めようとしているだけのことですが。

 春日さんがまだ小学校に上がる前、お母様とご自宅の縁側で、隣の家から泥棒が出て来て塀沿いに逃げて行くのを、ぼんやりと眺めていたというところが、すごく印象に残りました。まるで映画のシーンのようで、読んでいるとその光景が浮んでくるようです。

 背中を丸めてつま先立ちのような格好で逃げる泥棒は、コントを見ているような可笑しさがあったと。その体験は、お母様との結束を強めたに違いないけど、そのユーモアの効能に気付いたから、お母様に呑み込まれることなく現在に至っているのではないか。そう書かれていました。

『自殺』という本を書くために、青木ヶ原樹海へ取材に行ったことがあります。100体以上の自殺者の遺体を見付けている早野梓さんという方にお願いして、樹海を案内してもらいました。早野さんは樹海に関する本を出されている作家ですが、以前は地質調査で樹海のなかを歩き回る仕事をされていたそうです。遺体を探すのが仕事ではなく、偶然遺体と出会って来た人です。早野さんは、会った早々、2日あれば遺体を見付けられるとおっしゃっていましたが、その日は半日しか時間がありませんでした。しかし、半日と言えども確率は4分の1です。ひょっとしたらという気持ちで樹海を歩いていましたが、残念ながら(と言っていいのか迷いますが)見付かりませんでした。でも、自殺しようとした痕跡は何箇所かありました。

 話が逸れてしまいましたが、早野さんは、見付けた遺体以上に何百人も自殺しに来た人の命を救っている人です。自殺しに来た人と出会った時、こんな会話があったそうです。「こんな寒い時に死ぬことないじゃないか。南の島のほうがいいよ」「おじさんは自殺を勧めるんですか?」「だって、ここに死にに来たんだろう」と。そこでフッと笑いがあって、その人は自殺しないで帰って行ったそうです。自殺を考えている人が笑えるかどうかは難しいところですが、ユーモアには命が救えるほどの効能があると信じています。ぼくが母親のことを書くのも、読んでいる人に笑ってもらえれば本望だと思って書いています。なかなか難しいことなのですが、そういうふうに書けたら、何か自分が解放されたような気持ちになるのです。

 泥棒が出て来たにせよ、縁側でお母様とのんびり過ごした時間があるということは羨ましいですね。そういう記憶の積み重ねが、今もお母様といるという気持ちにさせてくれるのではないでしょうか。ぼくの場合、母親と暮らしたのは、3歳までは別にして、わずか1年ほどですから、記憶の層がものすごく薄いのです。

 その少ない記憶のなかで、一家団欒のようなシーンが1つだけあります。ぼくが小学校1年生で、母親が退院して家にいた時です。季節は覚えていませんが、暑くも寒くもなかったと思うので、春か秋だったでしょうか。

 まだ家々にテレビが入っていない時代で、娯楽と言えばラジオぐらいでした。そんな頃、父親が突然、家で映画を上映すると言い出したのです。父親はみんなから注目されたり、みんなを喜ばせたりするのが好きな人だったので、町の映画館と交渉して、映画を出前してもらうことにしたようでした。

 上映する映画は、後から調べてみると、昭和29年4月に公開された中村錦之助(萬屋錦之助)主演の『笛吹童子 どくろの旗』(東映)でした。あらかじめその映画のポスターを映画館から貰ってきて、それをぼくが公民館に貼りに行った覚えがあります。

 映画の当日、母親は家を片付けたり掃除をしたりしていました。体の調子が良かったのか、あちこち動き回っていました。そういう母親を見るとウキウキした気持ちになりました。

 夕方近くになって、ミゼット(小型三輪自動車)で映画館の人が来ました。父親も手伝って、映写機やフィルムなどを家のなかに入れ、土間にシーツを張ってスクリーンを作りました。ぼくはそれをワクワクして見ていたと思います。映画館そのものは和気の町で見たことがありますが、映画を見るのは初めてのことでした。

 映写機は16ミリだったと思います。それを座敷に置き、試しにスイッチを入れるとシーツに四角い画面が映し出されます。映写機からシーツまでの距離が短いので、画面が幅50センチぐらいの大きさで迫力がありません。映写機を後ろに持って行っても、部屋そのものが狭いのでそれほど変わりません。その時、父親が言った言葉を覚えています。「壁をぶち抜こうか!」と言ったのです。

 床の間がある壁をぶち抜いて、映写機を外に置いて映せば、画面が大きくなるということです。それを聞いた母親は驚いて、「やめて!」と言ったと思います。母親の一言で壁は無事でしたが、父親にはそういう無鉄砲なところがありました。あの時、壁に穴を開けたりしたら家はどうなっていたでしょうか。そうでなくてもボロボロの家だったから、潰れていたかもしれません。

 画面のサイズが小さいながらも、10人ほど集まった村の人たちは喜んで見ていました。ぼくも弟も、母親も父親も、並んで小さなモノクロ映画を食い入るように見ていました。若侍になった中村錦之助が女の子のようにきれいでした。

 母親は肺結核だったので、村の人たちは母親に近寄りたくなかったはずですが、映画に釣られて我が家にやって来ました。そのことは父親も母親も嬉しかったと思います。そして誇らしかったと思います。ぼくにとっては、家族4人で映画を見た、その時間があったということが、ニヒルな性格になってしまうところをかろうじて止めてくれているように思うのです。

文=末井昭

1948年、岡山県生まれ。デザイン会社やキャバレーの看板描きなどを経て編集者となり、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『NEW SELF』『ウィークエンドスーパー』『写真時代』『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を次々と創刊する。白夜書房取締役編集局長を経て、2012年に白夜書房を退社。現在はフリーで執筆活動などを行なう。著書に、『素敵なダイナマイトスキャンダル』(ちくま文庫)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『自殺』(朝日出版社)、『結婚』(平凡社)、『末井昭のダイナマイト人生相談』(亜紀書房)、『生きる』(太田出版)、『自殺会議』(朝日出版社)などがある。2014年、『自殺』で第30回講談社エッセイ賞を受賞。2018年、『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化(監督・冨永昌敬/配給・東京テアトル)。
Twitter:@sueiakira

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