父の頭から白い泡が“もくもく”エクトプラズムのように出て…耳栓をしたまま猫を見て…春日武彦の「得体の知れない話」


【連載】猫コンプレックス 母コンプレックス――異色の精神科医・春日武彦と伝説の編集者・末井昭が往復書簡で語る「母と猫」についての話

<これまでのまとめはこちら>


<第14回 春日武彦→末井昭>

■■■■■一家団欒■■■■■

末井昭さま

 生まれて初めて、耳栓を買いました。連休中に単行本のゲラ・チェックだの原稿書きを一挙に済ませる意気込みだったのですが、予想以上に地雷が埋まっていてやたらと手間取ることになってしまいました。こんな具合に追い詰められたときは、気分を変えたほうがいいに決まっています。わたしには一応仕事部屋というか勉強部屋があるのでそこにこもっていればいいのですけれど、ずっといると飽きてきます。ゲラ・チェックだと資料をいくつも広げるので、いちいち片付けるのも大変です。

 そこでリビングで仕事をしようと思い立ちました。心の切り替えにちょうどいい。ところが妻が、連休ということで家にいるわけです。彼女はテレビを点ける。ワイドショーだのグルメ番組だの『相棒』の再放送だの、そういったものをだらだら見ながらスマホをいじっている。普段、大学病院で死ぬほど忙しい日々を送っている彼女ですので、そういった自堕落な時間の過ごし方がいいんだろうと理屈では分かりますが、わたしはテレビが嫌いなのでげんなりする。騒がしさに辟易する。窮余の策として、耳栓を使ってみようと思いついたわけです。嫌味なことをする奴だと妻に思われないように、「幻聴に悩まされている患者さんが耳栓をして生活をしていたんで、どんな具合なのかちょっと試してみようと思ってさ」などと苦しい言い訳をしました。ちなみに、幻聴には耳栓なんかしても効果はありません。

 今どきの耳栓って、柔らかいんですね。大福餅の皮みたいにねっとりしている。これを細く変形させて耳の奥まで無理矢理ねじこむ。そうすると耳栓は自らの弾力で次第にもとの形に膨らみ、結果として耳の穴が隅々まで塞がれる。何だか得体の知れない生き物を耳の穴に侵入させるような気持ちの悪さがありますが、まあ我慢をするしかありません。

 結果はどうであったか。いやあ凄いものです。音が完全にシャットアウトされるわけではないが、水の中に潜ったかのようにあらゆる音が遠ざかり、音が携えている生々しさが嘘みたいに消え失せてしまう。静けさを(ほぼ)取り戻した室内は微妙に広くなったように感じられ、しかも目に映るものがことごとく、くっきりと見えてくる。視界の解像度が上がるんですね。たんに聴覚が遮断されただけではなく、他の感覚がほんの少し変容する。そしてしっかりと孤独感がもたらされる。騒々しい日常から隔てられたという感覚ですかね。おかげで確かに集中力は増し、仕事にはプラスになりました。ただし長時間の耳栓は、耳の穴が痛くなる。

 耳栓をしたまま猫を眺めると、何だか3Dの画像を見ている気分です。どこかリアリティーが欠落している。鳴き声も、隣の部屋から微かに聞こえてくるような感じです。そんな〈ねごと〉君が、いきなりテーブルに跳び乗ってくると本当にびっくりします。まさに不意打ちという感じで。どうやら耳栓が気になるらしい。テーブルから今度はわたしの肩にジャンプし、肩の上でバランスを保ちながら黄色い耳栓の匂いを嗅いでいます。とりあえず気が済むと、またテーブルに戻り、こちらに尻を向ける格好でゲラの上に座り込んでしまう。どうせ意地でも動こうとしないだろうと分かっていますから、とりあえず台所に行ってコーヒーを淹れ、カップ片手に戻ってくると、その間に猫の姿は影も形もなくなっています。もしかするとわたしの真後ろに回り込んでいたのかもしれません。

荒ぶる〈ねごと〉(撮影:春日日登美)

 怪我をして帰ってきた猫というのは、ものすごく恐ろしいイメージとして迫ってきます。「やんちゃだなあ」とかそういった話ではなく、世の中はバイオレンスと悪意と残酷さとに満ち溢れているといった確信を裏書きしているかのように感じられてしまうのですね。猫同士で闘った挙げ句であろうと、自動車に轢かれたのであろうと、性格のおかしな奴に虐待されたのであろうと、とにかく心の底からショックを受けてしまう。怪我をしたのは猫であっても、自分はこんな世界に生きていたくないとあらためて感じそうです。

 以前、神楽坂に住んでいたことがあります。新宿区矢来町、新潮社のすぐ近くです。三階建てのマンションの一階を借りていて、一階のメリットは小さな庭があることでした。べつに花を植えるとか、そういった趣味はないので放っておきましたが、勝手に草が生えて緑がいい具合に広がっているのは気分が安らぎます。得体の知れない大きなキノコがいきなり生えてきたり、地域猫が悠々と横切って行ったり、名前の分からない鳥が舞い降りてきて頭をぐるぐる回転させたり、のどかなものです。

 ある日、大きなガマガエルがのそのそと動いていました。庭には池なんかありませんし、近くにも池や川はない。どこで生まれどこに棲んでいるのか判然としませんが、そんなに遠くから来たとも思えません。こんな場所にガマガエルかよ、と意外に思いましたが、松沢病院に勤務していた頃にはどこかから猿が逃げ出して巧みに追っ手(警察を含む)を出し抜き、病院の敷地に隠れているらしいという噂が広がっていました。動物たちは結構都会にも暮らしているのだなあと感じるわけです。そういえば松沢病院で当直をしていると、いつも夜中に猫が集会を開いていたものです。ものすごく寒い冬の晩でも、十匹以上が静かに集まり輪を描くように坐っている。鳴き声も上げないし、ただ静かに坐っている。月が煌々と照っていたりすると、まさに幻想的な光景です。もしも――亡くなった〈なると〉君そっくりの猫が集会に参加しているのを目撃でもしたら、ちょっと人生観が変わってしまいそうな気がします。

 ガマガエルは、ときおり庭に姿を見せるようになりました。そうなると親しみを覚えるようになります。名前をつけるとか、餌付けをするとか、そういった発想にはなりませんでしたが、ああ元気でやっているねえと心が和みます。

 早朝、出勤のために家を出てT字路を曲がったら(ちょうど陽が昇り始めた頃合いで、まだ道路に人の姿は見当たりません)、道の真ん中でカエルが仰向けに死んでいました。大きさから、たぶんあのガマガエルだろうと直感しました。車に轢き殺されたようです。呆気ないものです。内臓がはみ出し、血と粘液の混ざったものがアスファルトに赤黒く広がっています。無惨なものでした。地域猫みたいに、ガマガエルはあちこちの庭に出没し、そういった牧歌的な移動の途中で運悪く自動車に轢かれてしまったのかもしれません。朝日を受けて、まだ水分をたっぷり含んだ死骸がみずみずしく光っています。わたしは立ち尽くしたまま、声も出ませんでした。項垂れたまま駅まで歩き、暗い表情で地下鉄に乗って一日がスタートしたのでした。

 夕方、疲れて帰って来ました。T字路に差し掛かり、道路に目を向けたものの既に死骸は片付けられています。血の跡もきれいに洗い流され、何一つ痕跡はありません。朝の光景が幻であったような気分にさせられます。でもそんな筈がない。カエルは寂しく死んでいたのです。そのとき不意に脳裏に浮かんだのは、なぜか鳥獣戯画でした。あの、八百年前に描かれた紙本墨画です。昇天したガマガエルは煙のように漂いながら古い絵巻物の中にするりと入り込む。まるでそれが予め定められていたかのように。そうしてあそこに描かれた動物たちの仲間に加えてもらって、今現在はきっと剽軽な姿で楽しく遊んでいることだろう。絵の中にカエルが一匹増えていることには、人間は誰も気が付かない。そこは鷹揚な空気に満ち、もはや心配もなければ危険もない。悩みも一切ない。――と、そんなふうに勝手な想像を広げてみると、少しばかり心が慰められます。絵巻物の存在感と浄土との合体が、むしろリアリティーすらをわたしに覚えさせたのでした。

妖しい目つきの〈ねごと〉(撮影:春日日登美)

 早野さんという今までにも数多くの自殺志願者を樹海で救ってきた方が、ユーモアの混ざった会話によって自殺を思いとどまらせた話を末井さんは書いていらっしゃいました。確かにユーモアには煮詰まった状況に突破口を与える作用を発揮する場合があるようです。視点の劇的転換や精神的視野の拡大、緊張状態の緩和(ガス抜きや、ときにはズッコケさせたり)などがプラスに作用するからなのでしょう。

 そうなりますと精神科医療の場で、ユーモアの効能はどれくらい「使える」ものなのか。これはなかなか難しいのが正直なところです。ユーモアを解するには、それなりの常識や精神的余裕を踏まえ、主観と客観との落差、ホンネと立て前、世の中に横行するダブルスタンダードなどをしっかり自覚していることが必要だと思うのです。でもそうした前提の部分に問題があるからこそ、精神の働きに支障が生じていることが多い。たとえば、すれ違った自動車のナンバープレートが1564(ヒトゴロシ)だったからヤバイと妄想を広げつつある患者に、「いや、あなたの診察券の番号は2233(フジミサ=不死身さ)だから大丈夫ですよ」と応じたら、そこで笑いが起きて患者が我に返るのかといえば、たぶんそうはいかない。むしろ、「先生、何を馬鹿な事を言っているのですか」と真顔でたしなめられる可能性のほうが高い。あるいは「わたしのことを馬鹿にしているんですか!」と怒らせてしまったり。

 でも考えてみれば、神経症レベルとか依存症、パーソナリティー障害などの人たちには、ユーモラスな言葉や態度が現状を打開する契機になるケースが散見されます。ただしそれは、上記のようなユーモアの効能とは少々違う。こちらがユーモアを口にすることで、(たぶん)相手に立つ瀬やプライドを回復する余地を提供しているんですね。往々にして彼らは症状に翻弄されるのみならず、二次的に失敗やトラブルを起こしてしまう。周囲に嫌われたりドン引きされたり非難を浴びたりしている。そのためにすっかり心が傷ついている。そんなときに治療者が顔をしかめたり説教したり非難するのではなくユーモラスな反応を示すことで、無条件に相手を受け入れるサインになります。あなたの置かれたややこしい状況は、わたしのようなプロの治療者から見ればちっとも珍しくないし、あなたが一方的に悪いわけでもないのは承知していますよ、と。いわば、治療者の「酸いも甘いも噛み分けた」精神のありようがユーモアを介して示され、患者は安心感を覚えられるようです。

 彼らは羞恥心や自己嫌悪、罪悪感といったものに少なからず囚われていますから、こちらが上手いタイミングで発したユーモアはかなり救いとして作用することがあるわけです。とはいうものの、患者さん相手にユーモアを武器に出来るようになったのは比較的最近の気がします。若い治療者であると、どこかわざとらしかったり上から目線的であったり不真面目さを想起させたりといった具合で、ユーモアが両刃の剣になりがちのようです。老いることで良かったと思える数少ない案件のひとつが、診察室でユーモアを治療手段のひとつに数えられるようになった、ということなのです。

 自分のことを省みますと、(歪んだ)親子関係の緊張状態下において、脱力してしまいかねない滑稽な要素に気付くことが精神上の「息継ぎ」として作用してきたことは多いように思えます。そしてその場合、ユーモアないしは滑稽さには、グロテスクさや毒々しさが少なからず含まれていたような気がします。不穏なものを含んでいるからこそ、不安や窒息感や「母に呑み込まれかねない危うさ」に風穴を開け得たのではないか、と。しかしその不穏さは、場合によってはこちらの精神を少なからず動揺させてきます。

 中学一年のときでした(翌年、第一回東京オリンピックが開催されました)。区立の中学に通っていたのですが、校門の向かいに古びて汚らしい文具屋がありました。木造で陰気で、いまだに戦後を感じさせるような建物でした。ノートや鉛筆をはじめ学校で必要な文具一式のみならず、体操着や上履き、体育館用の運動靴(体育館履き)なども扱っていました(そういえば学校には購買部がありませんでした)。いやそれだけではなく、駄菓子やジュースの類、プラモデルや教育玩具、水鉄砲やペンライトまでもがごちゃごちゃと置かれている。店には屋号も看板もなく、生徒たちは「ミヤモト」とかそういった名前で呼んでいました。「おい、帰りにちょっとミヤモトに寄って行こうぜ」みたいな調子で。

 店を仕切っているのは、しょっぱい声をした六十歳くらいの痩せたオバサンで、むしろ一杯飲み屋でも営んだほうが似合いそうな雰囲気でした。たまに出戻りの娘、年齢的には中年ですが妙にむっちりして色っぽい女性(ただし眼光が鋭い)が店に出ることもある。そしてオバサンの夫(ミヤモト氏)は七十近くなのでしょうがすっかり老け込んで、いつも汚れた浴衣を着ていました。彼はおそらく脳卒中の後遺症で呂律が回らず、手足には麻痺が残っているようでした。普段は横になっていることが多いのではないか。どうにも人手がないときには、そんな卒中のミヤモト氏が店番に立つことがある。言葉も不自由だし、認識能力や判断力もかなり鈍っているようでした。そんな彼を中坊たち(わたしも含みます)はすっかり馬鹿にし、ときには学校でミヤモト氏の口調や動作を真似て笑い合い、ときにはわざと消しゴムだの分度器だのを万引きして面白がっていました。こうして書きながら、我ながらひどい人間だったと顔をしかめずにはいられません。

 さて、たぶん休日だったと思います。休日ですから中学校は休みで、そんなときには文具店「ミヤモト」も休みです。わたしは電球を買うため電器屋へ行こうとしていました。徒歩です。ちょうど「ミヤモト」の前に差し掛かりました。店の脇には細い横道があり、いっぽう店の反対側には大きな欅が枝を広げ、横道はさながら薄暗いトンネルみたいな具合になっていました。

 何気なくその横道へ目を向けると、ちょうどこちらへ向かってくる人影がありました。長く伸びた白髪は乱れ放題、浮腫んだような体型に着崩れた汚い浴衣、杖を突きながらよろよろとぎこちなく歩いてくる。あの脳卒中後遺症のミヤモト氏でした。たった一人で、リハビリ代わりに店の周囲を歩いているのでしょうか。必死な表情を浮かべています。でも足取りは覚束ない。ちっとも前に進まない。

 わたしは彼の足もとを見てぎょっとしました。彼は新品の体育館履きで歩いていたからです。ズックの体育館履きは、つま先のところがカラーのゴムで包まれていて、学年ごとに色が決まっていました。ミヤモト氏は、わたしと同じ――つま先が黄色の靴でした。

曲がった尻尾(撮影:春日日登美)


 半身麻痺の人間が歩くには、体育館履きはちょうどいいでしょう。動きやすいし安全である。しかもそれを自分の店で扱っているのですから、わざわざ他所で購入する必要もない。でも、浴衣のミヤモト氏と体育館履きとは、あまりにも不釣り合いに映るのです。新品の体育館履きは薄暗い場所でも輝くように白い。つま先を被う黄色のゴムは、何だかアヒルの嘴みたいでもある。そしてそんな靴を履いている大人なんて見たこともない。事実上、それは中坊たちのために作られた幼稚な製品といった気持ちがわたしにはありました。ましてやその中坊どもは、ミヤモト氏を小馬鹿にし、物真似をしたり万引きまでするのです。そんなガキどもと同じ体育館履きで必死に道を歩く彼は、屈辱感を覚えてはいないだろうか。惨めさで泣きそうになっていないか。あるいは何とも思っていなかったとしたら、それこそが悲惨な状況なのではないか。

 いったいミヤモト氏の姿をどう解釈すべきなのか分からず、わたしは凍り付きました。リハビリ用には、体育館履きは最適であるといったプラグマチックな話でしかないのかもしれない。悔しさ、恥ずかしさ、惨めさを覚えつつも、選択の余地を与えられないまま彼は体育館履きの使用を強制されてしまったのかもしれない。どちらなのかが、あるいはどちらでもないのかが分からない。わたしには疚しさがありますから、ますます気まずい。考えようによっては、体育館履きのミヤモト氏の姿は滑稽です。ある種のちぐはぐさが伴っていますから。さながらポケモンに夢中になっている年寄りのように。でも、おそらく決して経済的に豊かではない(しかも中坊どもを憎んでいるであろう)ミヤモト氏が卒中になった結果としてこの中学生用体育館履きを使用せざるを得ないことになったと考えれば、これはむしろ残酷物語に近い。さらにミヤモト氏の新品の体育館履きは、そのまぶしいほどの白さによって、わたしの悪事、つまり彼を馬鹿にしたり万引きしたことを告発しているようにも思えた。そうなればホラーです。

 ユーモラスなのか残酷物語なのかホラーなのか、そうした判断のつかない状態というのは不安をもたらします。最終的には、わたしはこの体験を残酷物語に準じたものと解釈しました。いや、残酷物語というよりも自分勝手なセンチメンタル趣味でしかなかった気もする。そして疚しさや痛々しさで動揺しつつもなお、体育館履き姿のミヤモト氏を滑稽と思い続けていたのも事実でした。

 とうの昔にミヤモト氏は亡くなったに違いありません。この文章を綴りながら、ふと、柩に納められた彼の遺体を想像してみました。血の気の失せた顔、半開きの口、額に三角の布、白い経帷子、そして足にはつま先の黄色い体育館履き。ああ、やはり不穏な滑稽さが漂っています。

 ところで子ども時代のわたしは、一家団欒というのがまったく苦手でした(大人になってからは、子どもがいなくて猫のいる夫婦ですから、少なくともサザエさん的一家団欒とは無縁で済んでいます)。苦手というよりは、息苦しい。何だか無理に団欒を演じているような違和感があり(それは両親もまた感じていたようです)、しかも演じているというのなら観客がいる筈ですが、そんな者など存在しないのがなおさら気味の悪さを覚えさせるのでした。まあ自分たち自身が観客であるということになりましょうが、ならばなぜそんな状況に陥っているのかが分からない。フロイトならば、母をめぐって父とわたしの三角関係がもたらす緊張感が根源にある、なんてつまらぬことを言うのでしょうか。

 中学生の頃、一度自著にも書いたことがあるのですが、こんなエピソードがありました。朝か夜か、はたまた昼であったのかは覚えていないのですが、とにかく食卓を囲み家族で食事を摂っていました。これで楽しく言葉が交わされていれば、まさに一家団欒の図となった筈です。しかし会話は生じず、といって家族三人がテレビ画面に視線を向けていたわけでもなく、どうも沈滞した雰囲気に押し包まれていました。食欲よりは、さっさと一家揃っての食事が終わりを告げることのほうが望みである、と(たぶん全員が)思っていました。

 そんなとき、父がなぜか左手を頭に添えました。不審そうな表情で指を髪へ突っ込みます。痒いのか、痛いのか、それとももっと別な感触が生じているのか。やがて箸を置き、表情を強ばらせ、両手の指を髪に突き入れ、頭を掻き回し始めました。尋常ではない動作です。父の視線は上に向けられていますが、もちろん自分の頭なんか見えません。父は焦っていました。何かとんでもないことが起きている。

 やがて父の髪から白い泡が湧き出てきました。白く細かい泡が、「もくもく」といった感じで次々に盛り上がってくる。それは異様な光景でした。エクトプラズムが毛穴から出てきたように見えました。もちろんそれは心霊現象ではなく、頭を洗ったあとで父が十分に髪を濯がなかったからでしょう。でもシャンプーを洗い流すのが不十分だったからといって、あとで頭を掻き回して泡が立つものなのでしょうか。いや、実際に泡は十分過ぎるほどに湧き出ていました。母は半分パニックを起こしつつ父を詰りました。父はあわてて腰を上げ、浴室へ直行しました。当時は蛇口を捻ればすぐにお湯が出たりはしませんでしたから、寒い季節だったら泡を洗い流すのはなかなか大変だったことでしょう(そのあたりの記憶は曖昧です)。まあそれはともかくとして、このささやかな事件のおかげで、「一家団欒もどき」は目出度く中断となったわけでした。

 ではこのエピソードは、ユーモラスな話として分類されるのか。いや異常な話に近いでしょう。ある種の失敗談なのかもしれないけれど、不条理に近いチューニングの狂った出来事です。ここにおいても、わたしは不穏な滑稽さといったものを感じます。それが気まずい空気に風穴を開けてくれたのでした。四十年後に父はアルツハイマーになりましたが、その予兆だったわけではないと思います。

 

文=春日武彦

1951年京都府生まれ。一人っ子。喘息持ち。甲殻類恐怖症。日本医科大学卒。産婦人科医として6年勤務するも、障害児を産んだ母親のフォローを契機に精神科医に
転向。都立精神保健福祉センター、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長、多摩中央病院院長などを経て、現在も臨床に携わるいっぽう、講演や研修講師なども数多く勤める。著書には、『不幸になりたがる人たち』(文春新書)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『老いへの不安』(中公文庫)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』(太田出版)、『私家版精神医学事典』(河出書房新社)、『猫と偶然』(作品社)、『援助者必携・はじめての精神科(第3版)』(医学書院)等多数。


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