【未解決】全米が震えた不可能犯罪「ベンジャミン・ネイサン殺人事件」! 雷雨と密室、奇妙な証言…!
19世紀のニューヨーク・マンハッタンで著名なエリート投資家が殺害された。誰が何のために、どうやって殺したのか、今もまったく手がかりがつかめない未解決事件が「ベンジャミン・ネイサン殺人事件」だ――。
■著名なエリート投資家が殺害される
ユダヤ人の裕福な投資家で慈善家のベンジャミン・ネイサン(当時56歳)は1870年7月の時点で、ニューヨーク・マンハッタンのタウンハウスで2人の息子とメイド、使用人の5人で一時的な仮住まいをしていた。妻が守る実家はニュージャージーのモリスタウンにあった。
ネイサンはビジネスマンとしても多忙な日々を送っており、ニューヨーク証券取引所の副社長のポストをはじめ、複数の鉄道会社のディレクターを務めるなど人々から信望を寄せられていた。
まさにこの時代のマンハッタンの繁栄を体現する人物であったネイサンなのだが、驚くべきことにアメリカの犯罪史上に残る謎の殺人事件で命を落とすことになったのだ。
1870年7月28日の夜、ネイサンは仕事を片付けるために応接室で夜遅くまで作業にとりかかっていた。ちょうどこの時、部屋は改装工事中でネイサンの仕事部屋は一時的に使えず、仕事は応接室で行っていたのだった。
長男のフレデリック(26歳)は夜11時頃に帰宅し、眠る前に応接室のネイサンと少し話をしている。もう1人の息子、ワシントン(22歳)も夜遅くに帰宅し父親の姿を目撃していた。この日の日付が変わる頃から暫くの間、この一帯は激しい雷雨に見舞われた。
翌朝の7月29日の朝の6時、フレデリックとワシントンの2人の息子は応接室で血まみれで倒れている父親を見つけてショックを受けるもすぐに警察に連絡をした。ネイサンは強打された頭から夥しい出血をしており、床、壁、家具には大量の血が飛び散っており、激しく争った形跡が見られ、いくつかの家具は倒され壊れていた。
現場に残されていた凶器は長さ約20インチ(約50センチ)の鉄の棒で、犯人はこの鉄棒で少なくとも15回以上、ネイサンの頭部を強打したことが推測された。ネイサンは激しく抵抗していたことがわかり、腕などにも打撲傷があるとともに左手の2本の指を骨折していた。
部屋の片隅にあった金庫は開けられており、その後の計算で数百ドルがなくなっていることがわかった。しかし宝石類や慈善活動を認められて授与された金メダルなどはそのまま残されていた。
実は、本来の予定ではネイサンと息子たちは前日から実家に戻って暫し一家団らんの時間を過ごすことになっていたのだが、急な仕事が入りネイサンは帰省を断念して徹夜仕事に取りかかっていたのだった。したがって、どこからかネイサン帰省の情報を聞きつけていた犯人は本来空き巣を狙う計画だったものの、予期に反して部屋にいたネイサンに驚きつつ仕方なく殺害したのではないかという大まかな推測が成り立った。
しかし問題なのは、部屋が荒れ果てて血にまみれていたにもかかわらず、実際に何者かが侵入した様子はまったくなく、窓はすべて内側からロックされ、部屋のドアは無傷、正面玄関も開けられた形跡がなかったことだ。地下室から誰かが入ったという証拠もなく、さらに奇妙なことに、当時激しい雷雨による土砂降りだったにもかかわらず、濡れた足跡や泥だらけの足跡なども確認されなかった。
激しい雷雨の時間と犯行時間が一致していれば、確かに家の者は犯行に気づかなくても不思議ではないのだが、すべてがロックされた部屋に犯人はどうやって入り、残忍で暴力的な犯行を行い、そして誰にも気づかれずに出て行ったのか。そして空き巣狙いだとしても、数百ドル程度を手に入れるためにこのようなリスクを犯すとは考え難い。こうして警察は完全に途方に暮れたのである。
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2024.10.02 20:00心霊【未解決】全米が震えた不可能犯罪「ベンジャミン・ネイサン殺人事件」! 雷雨と密室、奇妙な証言…!のページです。密室、フリーメイソン、殺人事件、投資家、ベンジャミン・ネイサンなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで