麻薬カルテルまで支配した殺人カルト「マタモロス教団」とは? 死体の茹で汁を飲み… 隆盛から破滅までの道程
最初の頃、犠牲者は麻薬の売人や売春婦、ホームレスだったので、彼らが失踪しても大きな事件になることはなかった。しかし、1989年3月14日、コンスタンツォは自らの犯罪を世に知らしめてしまう事件を起こした。
同年3月初旬、彼は次の犠牲者としてアングロサクソン系の男性を連れてくるよう要求。信者らがターゲットにしたのは、テキサス大学オースティン校に通う男子学生、マーク・ジェームズ・キルロイ(21)だった。マークは背が高く、運動神経に優れ、大学では医者になるために勉強していた。
1989年3月10日、マークは3人の友人らと一緒にテキサス州サウスパドレ島で春休みを満喫していた。彼らは昼間ビーチで過ごし、夜には国境を越えた場所でパーティーをする計画を立てた。そして14日早朝、コンスタンツォの信者らはマークを誘拐して殺害。マークは拷問の果てに肛門性交を強要されたとみられている。マークの脳と脊柱は儀式のために取り除かれ、他の部位は解体後に埋められてしまった。
だが、マークの叔父は米国税関の特別捜査官だった。マークの失踪から数日以内に、米国とメキシコの法執行機関による大掛かりな捜査が始まった。
4月1日、麻薬カルテルのメンバーであるセラフィン・ヘルナンデス・ガルシアが、マタモロス警察の検問を無視して通り過ぎようとした。セラフィンは自分の姿は他人に見えないはずだと信じていたという。セラフィンを追跡した警察は、コンスタンツォの活動拠点である小屋に辿り着き、マリファナと銃器、ンガンガを含む儀式の道具を発見。組織は、ヒーラーが現場を除霊するまで捜査をとどまるよう求めたという。
だが、小屋の管理を担当していた信者がマークの殺害を認めた。その後、セラフィンらの自白に基づき、警察はマークの遺体と他の14人の遺体を発見。警察はギャングのメンバーに発掘を手伝わせたという。
13日までにエリオやセラフィンらが逮捕されたが、コンスタンツォやアルドレテら複数のカルトメンバーは1カ月にわたり逃亡した。5月6日、コンスタンツォの隠れ場所付近で、行方不明の子供を探している警官らが戸別訪問をしていた。警官らの姿を見たコンスタンツォはパニックに陥り、警官らに発砲し始めた。銃撃戦は45分間続き、180人以上の警官らが投入される事態に発展した。
最終的に、コンスタンツォは自分と恋人のマーティン・キンタナ・ロドリゲスを撃つように組織のメンバーに命じた。こうして2人は射殺され、他のメンバーであるアルドレテらは逮捕された。アルドレテは「彼は『全員死のう』と言いました。でも、私は死にたくありませんでした」と当局に語ったという。
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2024.10.02 20:00心霊麻薬カルテルまで支配した殺人カルト「マタモロス教団」とは? 死体の茹で汁を飲み… 隆盛から破滅までの道程のページです。ブードゥー教、カルト、連続殺人鬼、メキシコ、麻薬カルテルなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで