「自分を制御できない」殺人鬼リップスティック・キラーの正体と残された謎…
「自分を制御できない」そんな文言を口紅で壁に書きなぐりながら、殺人を犯したリップスティックキラー。犯人は当時17歳のウィリアム・ハイレンスだとされたが、非人道的な尋問で無理な自白をさせられたと見る向きもある。ハイレンス85歳で獄中で亡くなるまで無実を訴え続けた。果たして彼は本当にリップスティックキラーだったのか。
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※ こちらの記事は2022年8月11日の記事を再掲しています。
1945年12月11日、米イリノイ州シカゴにあるアパートで、フランシス・ブラウン(当時32)が殺害された。彼女の首にはナイフが突き刺さり、頭部には銃創があった。また、頭部はタオルでくるまれていた。
警察は、強盗の痕跡や犯人の手がかりを発見できなかった。しかし、ブラウンの所有していた赤い口紅を使って、リビングルームの壁に奇妙なメッセージが走り書きされていた。
「お願いだから、これ以上殺す前に私を捕まえてくれ。私は自分自身をコントロールできない」
マスコミによって事件はセンセーショナルに報じられ、正体不明に殺人犯は「リップスティック・キラー」と名付けられた。
シカゴでは同年6月5日、ジョセフィン・ロス(当時43)が自宅で殺害される事件も発生。彼女の首には複数の刺し傷があり、頭にはスカートが巻かれ、傷口はテープで塞がれていた。
警察はロスの婚約者と数人の元ボーイフレンドに事情聴取を行ったが、全員にアリバイがあった。そのため、ロスは侵入者によって殺されたと結論付けられた。一方で、何も盗まれたものはなく、ロスの手には数本の黒髪が握られていただけだった。不審者の情報も得られぬまま未解決の状態が続いていた。
翌年1月7日、ジェームズ・デグナンの娘スザンヌ(当時6)が自宅の寝室からいなくなる事件が発生。現場に駆け付けた警察がすぐにシカゴの捜索を開始し、窓の外に梯子と身代金メモを発見した。
「2万ドル(約266万円)を準備して、私の指示を待て。FBIや警察には通報するな。身代金は5ドル紙幣と10ドル紙幣にしろ。彼女の安全のためにこれを燃やせ」
この身代金メモは目くらましにすぎないことが判明した。というのも、スザンヌの行方不明が通報されてから12時間後、彼女の遺体が発見されたからである。午後7時ごろ、スザンヌの切断された頭がデグナン宅の近くの下水道に浮いているのが見つかり、後に彼女の足と胴体も近くの下水道から回収された。
マスコミは、3件の事件の犯人は同一人物「リップスティック・キラー」であるとして大々的に報道した。警察も犯人を逮捕するため、捜査の規模を拡大した。
そして1946年6月26日、シカゴ大学の男子学生だったウィリアム・ハイレンス(17)が強盗未遂で逮捕された。彼は夜のデートに必要な現金を入手するため、デグナン宅もある高級住宅地でアパートに侵入したが、住人に見つかり通報された。2人の警官がハイレンスを追い詰めた時、ハイレンスは所持していた銃を警官に向けて発砲した。しかし、追跡に加わった非番の警官から頭部に3つの植木鉢をぶつけられ、意識不明の状態で逮捕された。
ハイレンスは1928年にイリノイ州エバンストンで生まれ、大恐慌時代をシカゴ郊外のリンカーンウッドで過ごした。貧しい家庭で育ち、化学セットやおもちゃの飛行機などで遊ぶことを好む一方、両親の関係が険悪だったため、空き巣に入って気を紛らわしていたという。高価な衣服、ラジオ、銃などの盗品は家の近くの物置小屋に保管していた。
11歳のハイレンスは、カップルの性行為を目撃したことを母親に話したとき、それは汚いもので病気につながると告げられた。このことが原因で、後にガールフレンドにキスした際、突然涙を流して嘔吐したという。
13歳になったハイレンスは、盗んだ拳銃を所持していたことで逮捕された。その際に多くの強盗を自白し、インディアナ州テレホートにあるギボー少年学校に送られた。しかし、数カ月後に再び強盗を犯して逮捕。今度は、イリノイ州ペルーにあるカトリック系進学高校のセント・ビード・アカデミーに通うこととなった。そこでは優秀な学生だった。
1945年、16歳のハイレンスはその高い学力を見込まれシカゴ大学に入学、電気工学を専攻した。しかしその一方で、アルバイトをしつつ強盗を繰り返していた。2年目には、女性との交遊に忙しく宿題を怠ったため、成績が下がり始めた。そんな最中、「リップスティック・キラー」と呼ばれ人々を震え上がらせる事件が起きたのだった。
逮捕されたハイレンスは、頭部の傷を縫合された後で刑務所の病棟に移送された。そこで拷問のような取り調べを受け、苦痛と疲労、薬物の影響で意識を失うこともあった。ハイレンスによると、6日間24時間体制で尋問された際には殴打され、空腹状態に置かれたという。また、両親に会うことを許されず、弁護士と話すことも拒否されたという。
ハイレンスは3件の殺人事件のいずれについても自白しなかった。そのため、警察は看護師と医師の支援を受け、無理やり自白させようとした。ベッドに縛り付けられたハイレンスの性器に看護師がエーテルを注ぎ込んだり、警官がスザンヌ殺害の詳細を語りながらハイレンスの腹を繰り返し殴ったりした。
尋問4日目から、ハイレンスは次第に事件に関することを呟くようになった。警察は、令状がなく、ハイレンスが同意していないにもかかわらず、彼にペンタトールナトリウム(自白剤)を投与した。警察発表によると、尋問中のハイレンスは「ジョージ・マーマン」という名前の別人が3人を殺害したと述べたという。一方、ハイレンス自身は薬物投与後の尋問についてはほとんど覚えていないと主張し、警察に「ジョージ」の名字を尋ねられても「思い出せない」と述べている。
警察は大学のハイレンスの部屋や彼の実家、そして彼が管理していたロッカーを捜索した。ロッカーからは彼が行ってきた窃盗の証拠が発見され、指紋も採取された。そしてこの指紋が、身代金メモに付着していた指紋の9点と一致することが判明した(12点の一致で完全一致とされる)。だが、この事実は後に争われることとなる。
また、警察はハイレンスが供述した「ジョージ・マーマン」を追うためハイレンスの友人や家族にも尋問しているが、手がかりは得られなかった。そこで、ハイレンスのミドルネームが「ジョージ」であることを踏まえ、警察はハイレンスこそが「リップスティック・キラー」であると断定。証拠の不十分さや自白の有効性について議論もあったが、最終的に警察はハイレンスを起訴した。逮捕から17日後の1946年7月12日のことだった。
ハイレンスは裁判で3件の殺人すべてについて自分の犯行であることを認めた。しかし、これは司法取引を断った場合に起こる事態を恐れたためだった可能性があるという。確かにハイレンスは死刑を免れたが、65年間にも及ぶ残りの人生を刑務所で過ごすこととなった。彼は83歳で死亡するまで無罪を訴え、3回の自殺未遂を起こした。なお、ハイレンスは2008年のインタビューで「生きていれば、無罪を証明するチャンスはまだあります。だから、死ぬよりは生きていた方がましだったのです」と語っている。
ハイレンスの主張が正しいとすれば、冤罪で一人の人間の人生を台無しにしただけでなく、真のリップスティック・キラーを野放しにしたことになる。米国の警察や司法の信頼に関わる重大事件として、今後全ての真実が明らかになる日が来るのだろうか。
参考:「All That’s Interesting」「CRIMINAL MINDS」ほか
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