グリーンランドで死んだ探検家の日記が明かす「あまりにも悲惨な最期」とは…最終ページの“謎の付着物”の分析結果に震える
かつて、人類未踏の地であったグリーンランド北部沿岸の旅に出るも、悲劇的全滅を遂げた探検隊があった。厳寒の地でメンバーが次々と命尽き果て、最後の一人となった探検家が、凍えながらも手の動く限り書き続けていた日記の最後のページは黒い斑点で終わっていた――。
■グリーンランドの地で全滅した探検隊
その頃の地図では空白であったグリーンランド北東海岸を探索するために結成されたデンマーク遠征(Denmark expedition)だが、そのメインの探検隊は3人の精鋭メンバーで構成されていた。
メンバーはデンマークの民族学者、ルートヴィヒ・ミュリウス=エリクセンを筆頭に、地図製作者であるニールス・ピーター・ホーグ・ハーゲン、そしてイヌイットでキリスト教教育家のヨルゲン・ブロンルンドであった。
探検の重要な任務の1つにはグリーンランド北部のピアリーランドが島なのか、それとも半島であるのかを確かめることもあった。もし島であった場合、それはアメリカに所有権があり、もし半島であった場合はデンマークの領土の一部になるのだ。
1907年3月末に10台もの犬ぞりを率いて出発した探検隊だったが、旅は計画通りに進まずに困難を極めた。いったん引き返したり、二手に分かれたりと探検隊が悪戦苦闘していたことが、後に回収されたブロンルンドの日記からわかっている。
そして極度の疲労と寒さで動けなくなり旅半ばにして倒れる者も出はじめた。まずキャプテンのエリクセンが、次にハーゲンが息絶えると一人きりになったブロンルンドは補給拠点の近くにある洞窟にこもって助けを待つしか手がなくなった。サバイバルに奮闘したブロンルンドだったが、凍傷がじわじわ広がり、最終的に同年11月に悲壮な最期を遂げる。
この後、1908年3月になって遠征隊の別のチームがブロンルンドの遺体と日記を発見したのだが、遺体を動かすのは難しくその場に埋葬され、回収された日記はコペンハーゲンの王立図書館のコレクションに加えられた。
一人になっても日記を書き続けていたブロンルンドの最後の一文は「私は弱まる月明かりの下でこの場所に到着し、足が凍り、暗闇のために進むことができません。他の者の遺体はフィヨルドの真ん中にあります」とあり、ページの最後に何かが付着してできた黒い斑点が残されていた。斑点は筆記具によるものではなく乾燥して盛り上がっている“汚れ”だった。
南デンマーク大学の物理学、化学、薬学部の主任研究者のカーレ・ランド・ラスムッセン教授によれば、1993年に無名の研究者がこの謎の斑点に非常に興味を持ち、事前の許可なしに密かに斑点の部分を剥ぎ取って分析に回したのだという。
「その剥ぎ取った部分はすぐに(デンマークの)国立博物館に検査のために運ばれました。この人物にとって商業的またはその他の利益はありませんでした。現在は書面による許可なしにサンプルを分析することはあり得ませんが、当時は状況がまったく異なっていました」とラスムッセン教授は科学系メディア「Live Science」に電子メールでフォローしている。
残念ながら当時の国立博物館の自然科学ユニットの専門家は、この奇妙な斑点の化学的構成を特定することができなかった。しかし今回、ラスムッセン教授が率いる南デンマーク大学の研究チームが考古学誌「Archaeometry」で発表した研究では、この黒い斑点を蛍光X線(XRF)や誘導結合プラズマ質量分析法(ICP-MS)などの1990年代には存在しなかった技術を駆使して再び分析し、原子レベルでの化学元素を正確に特定したのである。この斑点の成分からいったい何がわかったのか。
■斑点の成分が物語る“最後の悲惨な日々”
分析の結果、焦げた炭素に加えて、カルシウム、チタン、亜鉛が発見された。しかしその3つはグリーンランド北東部の岩層とは一致しなかったのである。
斑点をさらに分析するとその謎が解けた。これらの鉱物はゴム製品の“詰め物”として使用されており、日記の斑点には焦げたゴムが含まれていることが示唆されたのだ。これはブロンルンドが点火しようと必死になっていた灯油ストーブかバーナーの焦げたガスケットに起因するものである可能性が濃厚となった。
研究チームはほかにも有機化合物の3つのグループを検出した。脂質(植物油、動物性脂肪、魚や鯨油など)、石油(ストーブの燃料)、そして人間の糞便である。研究チームによれば洞窟の中で凍えていたブロンルンドは自分の糞便を燃やそうとしていたのではないかと指摘している。糞便を燃やしてストーブの火をたこうとしていたというのだ。
「この時、ブロンルンドは何週間も飢えており、疲労も限界を超えた上、凍傷にかかっていました。彼が補給拠点から持ってきたマッチを使って小さな洞窟の中のストーブをオンにしたとき、彼の手は震えていた可能性があります」(ラスムッセン教授)
当時のこの種のストーブは予熱が必要で、通常はアルコールに火をつけて暖めるのだが、補給拠点ではアルコールが品切れになっていたという。
そこでブロンルンドは震える手で自分の糞便になんとか火をつけようと躍起になっていたのではないかということだ。その最中に日記の開いたページを触るなどしたことでこの斑点が偶然マークされたと考えられるという。
「ブロンルンドは、ストーブを(糞便を含む)周囲のすべてのもので予熱しようと試み、おそらく失敗した後、日記のページにマークを残した可能性があります。マーク内の糞便の存在は、彼の“最後の悲惨な日々”の過酷で劣悪な状況を物語っています」(研究論文より)
一縷の望みをかけて自分の糞便まで燃やそうと悪戦苦闘している中で命が尽きたのだとすればあまりにも忍びない。天国でストーブが必要ない暮らしをしていることを願いたいものである。
参考:「Live Science」、ほか
※当記事は2020年の記事を再編集して掲載しています。
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