「目の前の家族は替え玉だ」愛する人が偽物に見える恐怖「カプグラ症候群」とは

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 ある日、男は自宅のキッチンに立つ妻を見て、静かに確信したという。

 目の前にいる人物は、顔も声も、歩き方も、長年連れ添った妻そのものだった。しかし彼の中では決定的な何かが欠けていた。「彼女は妻の姿をしているが、妻ではない」。そう警察に説明した男は、自宅に侵入した“替え玉”から家族を守らなければならないと信じていた。

 これは映画や都市伝説ではない。精神医学に実在する症状――カプグラ症候群と呼ばれる現象である。

愛する人が「偽物」に見える――カプグラ症候群とは何か

 カプグラ症候群とは、家族や恋人、医師、友人といった身近な人物が「そっくりな別人に入れ替わっている」と確信してしまう妄想性症状だ。奇妙なのは、患者が顔を識別できなくなるわけではない点である。むしろ顔は正確に理解している。それにもかかわらず、「本物ではない」と断言するのである。

 精神医学の文献には、この症状が引き金となった悲劇的な事件が複数報告されている。英国で報告されたある症例では、男性が同居する妻に対し数週間にわたり違和感を訴えていた。料理の味が違う、視線が冷たい、歩き方が微妙に異なる――周囲から見れば取るに足らない変化だったが、本人にとっては侵入者の証拠だった。やがて彼は「妻は既に連れ去られ、別人が送り込まれている」と確信するに至る。そして最終的に、彼はその“替え玉”を排除しようとした。

 精神鑑定の結果、彼は妻の顔を完全に認識できていたことが確認されている。問題は視覚ではなかった。感情だった。

なぜ脳は“本物”を偽物だと判断してしまうのか

 現在もっとも有力とされる説では、カプグラ症候群は「顔認識」と「感情反応」の神経回路の断絶によって起きると考えられている。人は親しい人物を見ると、視覚情報と同時に安心感や親密さが生じる。しかし脳外傷や認知症、統合失調症などによって感情を司る回路がうまく働かなくなると、顔は理解できるのに感情が伴わないという奇妙な状態が生まれる。

 脳はこの矛盾を放置できない。「妻の顔なのに安心できない」という説明不能な違和感を前に、人は理由を探し始める。そして導き出される結論が、「偽物だからだ」という物語なのである。

 こうしたケースは決して珍しいものではない。海外の医学報告には、病院の医師や看護師がすべて替え玉だと信じ込んだ患者や、認知症の進行とともに配偶者を自宅から締め出した高齢者、さらには両親が政府の工作員に入れ替えられたとして警察へ通報を繰り返した男性の例などが記録されている。

 興味深いのは、“入れ替えの犯人”が時代背景によって変化する点だ。かつては悪魔や妖術が語られ、冷戦期にはスパイや秘密警察が登場し、現代では監視組織、宇宙人といった説明が現れることもある。人は理解できない感覚を、自分が知る世界観の中で説明しようとするのかもしれない。

「本物の自分はどこにいる?」――自己を失った医師の症例

 しかし、この症候群を語るうえで特に異様な症例が存在する。それは「自分自身が替え玉になった」と確信した医師のケースである。

 20世紀後半に報告されたこの症例では、神経障害を経験した男性医師が、ある日から鏡に映る自分の姿に強い違和感を抱くようになった。顔は自分そのものだと理解できる。医学的知識も記憶も失われていない。それにもかかわらず、彼は「本物の自分は別の場所にいる」と主張し始めたのである。

 彼は同僚に対し、「この身体は私のコピーだ」「本物の私はどこかで拘束されている可能性がある」と説明したという。診察室で患者を前にしても、自分が医師として振る舞っていることに現実感が伴わず、まるで誰かの役割を演じているように感じていたと記録されている。

 これは自己カプグラ、あるいはカプグラ型自己同一性妄想として紹介される極めて稀な例である。通常は他者に向けられる“替え玉”の疑念が、自分自身へ向かった瞬間だった。

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 この症例が示しているのは、カプグラ症候群が単なる奇妙な妄想ではなく、「自分とは何か」という根本的な認識の揺らぎであるという事実だろう。人間は顔や記憶だけで自分や他人を理解しているわけではない。そこには説明しづらい感情の連続性が存在している。

 もしある日、家族の顔を見ても懐かしさを感じなかったらどうなるだろうか。声を聞いても安心できず、笑顔を見ても何も動かなかったとしたら。その違和感を、私たちはどのように説明するだろう。

 疲労やストレスのせいだと考えるかもしれない。関係が冷えただけだと思うかもしれない。しかし脳が納得できる理由を見つけられなかったとき、人はときに現実そのものを書き換えてしまう。

 最も身近な人が、突然「知らない誰か」になる。そして場合によっては、自分自身さえも。

 カプグラ症候群が示しているのは、狂気の遠さではない。むしろ、私たちが立っている現実という足場が、思っている以上に繊細な神経の均衡によって支えられているという事実なのである。

参考:NCBIScienceDirect、ほか

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