裏切りと陰謀…古代の世界を震撼させた7つの暗殺事件
先日のドナルド・トランプ前大統領に対する暗殺未遂事件は、アメリカ合衆国の歴史における初めての例ではない。これまでにエイブラハム・リンカーン、ジョン・F・ケネディ、その弟ロバート・F・ケネディ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、そしてロナルド・レーガンなど、多くの暗殺や暗殺未遂事件が発生している。しかし、アメリカだけがこのような衝撃的な事件に見舞われているわけではなく、世界中で、そして歴史を通じて発生している。
暗殺は歴史を通じて権力構造を変えるための冷酷かつ効果的な手段として利用されてきた。古代世界では、戦場で勝利を収めることが権力を得る手段であったが、暗殺もまた頻繁に行われた方法である。本記事では古代世界における衝撃的な暗殺のいくつかを紹介する。
ユリウス・カエサルの暗殺
ローマの政治家であり軍司令官であったユリウス・カエサルは、紀元前100年に生まれ、紀元前44年3月15日に暗殺された。彼の権力と人気の増大は、多くの元老院議員にとって脅威となり、マルクス・ユニウス・ブルートゥスやガイウス・カッシウス・ロンギヌスを含む約60人の元老院議員がカエサルの暗殺を計画した。
カエサルはポンペイウス劇場での元老院会議に出席するために入場した際、偽りの嘆願を行うふりをした暗殺者たちに囲まれた。最初に攻撃したのはカスカという元老院議員で、カエサルを23回も刺した。これにより、ローマは政治的混乱と内戦に突入し、最終的にはカエサルの名が野心、権力、帝国の運命の象徴となった。
マケドニア王ピリッポス2世の暗殺
アレクサンダー大王の父であるマケドニア王ピリッポス2世は、紀元前336年10月、娘の結婚式で暗殺された。彼はギリシャの外交官たちに対して親しみやすさを示すために護衛なしで入場した際、護衛の一人であるパウサニアスに刺され即死した。暗殺の理由については諸説あり、確かなことはわかっていないが、この事件はアレクサンダー大王の台頭を導いた。
カリグラの暗殺
カリグラは紀元37年から41年にかけてローマ帝国を統治した第3代皇帝で、その統治は狂気、残虐行為、贅沢で知られている。紀元40年、カリグラはエジプトのアレクサンドリアに移住し、神として崇拝される計画を発表した。これに反発した元老院は、プラエトリアンガードのカッシウス・カエレアにカリグラの暗殺を命じた。カリグラの死後、叔父のクラウディウスが皇帝に即位し、ローマに安定をもたらした。
ダレイオス3世の暗殺
ダレイオス3世はペルシャ・アケメネス朝の最後の王であり、紀元前330年、アレクサンダー大王との戦いに敗れた後、自身の将軍ベッソスによって暗殺された。アレクサンダーはダレイオスの死を悲しみ、彼の遺体をペルセポリスに送り、王室の墓に埋葬した。
ポンペイウスの暗殺
ポンペイウスはローマ共和国末期の将軍であり政治家であったが、紀元前48年にユリウス・カエサルとの内戦に敗れ、エジプトに逃亡した。エジプトの王プトレマイオス13世はポンペイウスを暗殺し、その頭をカエサルに献上したが、カエサルはこれに激怒し、ポンペイウスの死を悼んだ。
コンモドゥスの暗殺
映画「グラディエーター」で有名なコンモドゥスは、紀元180年から192年にかけてローマ帝国を統治した皇帝で、その統治は狂気と贅沢で知られている。彼の側近たちは彼の暗殺を計画し、レスリングパートナーのナルキッソスに命じてコンモドゥスを風呂場で絞殺させた。コンモドゥスの死後、ローマは再び安定を取り戻した。
アルタクセルクセス3世の暗殺
アルタクセルクセス3世は紀元前358年から338年までペルシャ・アケメネス朝の王であり、その統治は政治的混乱と陰謀に満ちていた。彼の側近であった宦官のバゴアスは、王を毒殺して自分の候補者を王位に据えようとした。バゴアスの陰謀は成功し、彼はペルシャ宮廷で大きな権力を握った。
これら古代世界の暗殺事件は、権力の脆さとその維持のためにどれほどの犠牲が払われるかを示している。裏切りや毒殺、暴力によって権力を得ようとする行為は、人間の暗黒面を浮き彫りにし、政治的野心の恐ろしい結果を物語っているのかもしれない。
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2024.10.02 20:00心霊裏切りと陰謀…古代の世界を震撼させた7つの暗殺事件のページです。暗殺などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで