【闇】謎の死&失踪を遂げた世界のUFO研究家7人! フリーエネルギー発明直後、不自然な交通事故…
■ガウラブ・ティワリ(印)
3年前の2016年7月、2人のUFO研究家が謎の死を遂げた。
1人目は、インドのガウラブ・ティワリである。
ティワリは、インドを代表する超常現象研究家として知られ、自ら「インド超常現象研究会」という研究機関を設立、多くのテレビ番組にも出演していた。そのティワリが、7月7日、自宅の浴室で死体となって発見された。浴室には内側から鍵がかけられており、警察は自殺と判断した。
しかし、彼はその年の2月に結婚したばかりだったし、彼が出演する新番組の撮影が7月15日から始まる予定であった。つまり、ティワリの生活は公私ともに好調であり、自殺する理由は何もなかったのだ。そこで彼の死については謀略説もささやかれている。
■マックス・スピアーズ(英)
ティワリの死と同月の16日、イギリスのUFO研究家マックス・スピアーズが、滞在先のポーランドで死亡している。
スピアーズは陰謀論についての研究で知られており、ポーランドで開催される会議に出席するためワルシャワに滞在していたのだ。彼の死は薬品の使用と急性肺炎と結論されたが、スピアーズは死の直前母親に電話し、「自分に何かあったら調査してくれ」と述べており、やはり何者かに殺害されたのではないかという陰謀論が渦巻いている。
研究家が謎の死を遂げたり、突然失踪したりする事件は、UFO事件史上何件も報告されている。続けて、他にも代表的な例をいくつか紹介しよう。
■バシル・ヴァン・デン・バーグ(南アフリカ)
まず、謎の失踪を遂げたのが、南アフリカのバシル・ヴァン・デン・バーグだ。
ヴァン・デン・バーグは、「アダムスキー宇宙文字」、あるいは「金星文字」と呼ばれるものを研究していた。
これは1952年12月13日、アメリカのコンタクティーであるジョージ・アダムスキーがUFOを目撃した際、UFOの窓から落とされたネガ・フィルムに写っていた文字らしきものをいう。このネガ・フィルムは前月(11月)20日、アダムスキーがオーソンと名付けた金星人と最初に会見した際、彼に託されたものだった。また、これと酷似した図形が、フランスの考古学者マルセル・オメがブラジルの遺跡ペドラ・ピンターダで発見した石器に刻まれていたのだが、当時はアダムスキーとオメの間に交流はなかった。
当然、大勢の研究家がその解読を試みたが、ヴァン・デン・バーグもまた、そうした研究家の1人だった。
当初、ヴァン・デン・バーグの解読は難航したが、彼自身が金星人とコンタクトしたことで解読の手掛かりを得る。そして、1962年になると解読した内容により、“重力を遮断する”画期的な2個のモーターを発明した。このモーターは複数の磁石で作動するもので、外部からの電気エネルギーを必要としない。彼によると、その原理は「こんな物をどうして7歳の子供でも思いつかなかったのだろう」というほど簡単なものだった。彼はこれを1963年に米国へと持って行き、18カ国の科学者団に公開する予定であったが、その直前に謎の失踪をとげた。何者かに拉致されたという噂もあるが、詳細は不明である。
ちなみに、日本のUFO研究家である水島保男は、残されたヴァン・デン・バーグのモーターの写真を手掛かりに新型モーターの特許を取得したが、これは反重力装置としては機能しないようである。
■ジェイムズ・マクドナルド(米)
ティワリ同様、謎の自殺を遂げたのがアメリカのジェイムズ・マクドナルドである。
マクドナルドはシカゴ大学気象学部研究員やアリゾナ大学気象学部准教授、同大学大気物理研究所副所長を歴任した気象学の専門家であった。しかし1954年、同僚の気象学者2人と一緒にUFOを目撃したことがきっかけで研究を始めた。正統派アカデミズムの世界に身を置く人物としては、アレン・ハイネックと並ぶUFO擁護派として、否定派のドナルド・メンゼルやフィリップ・クラスなどと激しい論争を繰り広げた。
そのマクドナルドが、1971年4月に拳銃自殺を試みたのだ。自分の頭を撃ち抜いたマクドナルドは一命を取り留めたものの、視力を失い、車椅子生活を送るようになった。その後、視力は一部回復したのだが、彼はある日、病院から忽然と姿を消し、6月13日になって遺体で発見された。近くには38口径の拳銃と遺書が残されていたが、身体の不自由なマクドナルドがどうやって病院から抜け出したのか、疑問が残るところである。
■モーリス・ジェサップ(米)
モーリス・ジェサップもまた、奇妙な状況下で自殺している。
ジェサップはラモント= ハッシー天文台(米・ミシガン州)で観測員を務めていた天文学者であるが、古代に宇宙人が地球を訪れたという、いわゆる古代宇宙飛行士説の先駆者となり、南米の遺跡を宇宙人と結びつけた。フィラデルフィア実験について最初に公表したのもジェサップだった。
ところが1958年末になって、ジェサップは交流のあった奇現象研究家アイヴァン・サンダーソンに、「自分の身に何かが降りかかるといけないから」として多くの資料を引き渡し、安全に保管してほしいと依頼したという。そして翌年の4月20日、フロリダ州デイド郡の公園で、自家用車の排気管から室内にホースをつないで自殺しているジェサップが発見された。
■ジョン・マーフィー(米)
奇妙な事故で死亡した研究家もいる。
1965年12月9日、ペンシルベニア州ケックスバーグ近くの森に、謎の物体が落下する様子が大勢に目撃された。いわゆる「ケックスバーグ事件」である。この時、ケックスバーグ近くのグリーンスバーグでラジオ放送局を運営していたジョン・マーフィーは、視聴者から連絡を受けてただちに現場に急行した。すると、現場となった森に通じる道路は州警察によって封鎖されており、大勢の軍人もいた。マーフィーは捜索に加わった消防団員から「森の中にどんぐりのような形をした直径3、4メートルくらいの物体を目撃した」という話を聞き、付近の写真も撮影した。彼はそうした資料をもとに、ラジオのドキュメンタリー番組を製作しようとしたのだ。
ところが放送予定日の直前、政府関係者を名乗る黒服の男2人がマーフィーを訪ねてきて、写真や録音テープを押収した。番組自体は放送されたのだが、ラジオ局員によれば、内容は当初マーフィーが企画していたものとはまったく異なっていという。
その後、なぜかマーフィーは事件の調査を止め、事件について一切語らなくなった。そのマーフィーが交通事故で亡くなったのは翌年の1969年、カリフォルニアを休暇で訪れ、道路を横切っていた時だ。加害者は不明である。
■ジョン・マック(米)
マーフィーと同じく、ジョン・マックも酔っ払い運転の車に轢き殺された。
マックといえば、ハーバード大学医科大学院の精神医学教授や、ケンブリッジ病院の精神科主任を務めた高名な精神分析医で、「アラビアのロレンス」ことトマス・エリオット・ロレンスの伝記でピューリッツァー賞も受賞している。
だが、マックは1990年以降エイリアン・アブダクションの研究に取り組むようになり、200人以上の拉致被害者と面談した。マックがこのような現象を研究対象としたことには批判も多く寄せられ、ハーバード大学は彼の研究について調査する委員会まで設立したが、その結論は「彼に対する批判は根拠がない」というものだった。
ところが2004年9月27日、ロンドンの友人を訪ねたマックは、夕食から歩いて帰る途中で酒酔い運転の車に轢き殺された。ただ、この事件では犯人はその場で逮捕されている。
これらのUFO研究家の死や失踪事件は、果たして何者かの陰謀によるものだろうか。
確かに、UFO目撃者や研究家を訪ねる謎の存在・MIBについてはよく知られているし、イギリスのジェニー・ランドルスなどは、APENと名乗る謎の組織から脅された経験がある。その一方で、エリア51の秘密を暴いたロバート・ラザー、各国政府の背後に潜むレプティリアンの陰謀を説き続けるデイビッド・アイクなどは、特に重大な危害も受けずに活動を続けているようである。
仮に今回紹介した研究家の死のいくつかが何者かの謀略によるものだとしたら、生き延びた者たちとの違いは何だったのだろう。それとも、すべては偶然の産物であり、陰謀や謀略などは関与していないのだろうか。確たる答えは見つかっていない。
参考:ASIOS『UFO事件クロニクル』(彩図社)、桜井慎太郎『図解UFO』(新紀元社)、G・アダムスキ、D・レスリー『空飛ぶ円盤実見記』(髙文社)
※当記事は2019年の記事を再編集して掲載しています。
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