「書いて食う」道はこう切り拓く!山口敏太郎が語るプロ作家への現実と戦略
オカルト界において、日本でその名を知らぬ者はいない重鎮・山口敏太郎氏。
妖怪、怪談、都市伝説──数々のコンテンツを世に送り出してきた山口氏が、プロ作家として歩んできた道のりを語る。サラリーマン生活から一転、自らの手で「書いて食う」道を切り拓いたリアルな経験談は、創作で生きたいと願う人々にとって貴重なヒントとなるはずだ。
今回、そんな山口氏が「どうしたらプロ作家になれるのか?」について語ってくれた。
――山口さんが、作家になったきっかけはなんでしょう
山口敏太郎氏(以下、山口):「いろいろあるんですが、1981年にボーイスカウトの日本代表としてアメリカで開催されたアメリカジャンボリーに参加し、翌年ソウルで開催されたアジア大会に日本代表として参加したのがきっかけですね」
――そこで世界に意識が向いたということですか?
山口:「アメリカに行った時は、ジョン レノンが射殺された翌年で射殺現場にも行きました。ソウルで開催された時は日本代表だと言うことで石も投げられました」
――少年時代に衝撃的な体験があったんですね
山口:「そうですね。平凡にサラリーマンをやってていいのかなと、疑問に思いました。その後徳島県立城南高校卒業して神奈川大学に進学するわけですが、この時期にプロレスのプロモーターである福田レコード専務に出会い、大学ではプレス研究会の顧問ミスター高橋さんと知り合いました。その時、プロレス研究会の会長だったのが、女子プロライターの須山浩継さんでした」
――個性豊かなメンバーと出会ってますね
山口:「そうですね。しばらくプロレスの同人誌を作っていました。プロレスに純愛をすると言う意味でジュリエットと言う名前でした(笑) この大学時代の出会いも作家になる大きなきっかけでしたね。
――その後、一般企業に就職するんですよね
山口:「大学卒業した後、結局親に説得されて、日本通運に就職したんですよ。プロレス研究会であったから、重機建設部門に回されて(笑)土木施工管理技士の資格を取りました。2級ですが。他にも足場主任者、玉掛主任者等持ってますよ。その後IT物理が中心となって日経新聞に出たり、Worldビジネスサテライトに出ました。日本通運が持ってるネット代引きという、当時は珍しかった決済システムを作りました」
――その後なぜ作家に転身したんですか?
山口:「映画版の緊急検証でも言っていますが、ある時本屋に並んでいる。京極夏彦や多田克己の妖怪本を見かけたのです。(あー俺も妖怪の本書きたいなあ)と思ったんです。それで一度本屋の店頭から立ち去ったんです。でも何かこれではいけないと思って、今なら間に合うと感じて、本屋に戻ってムーのミステリーコンテストに応募したんです」
――デビューにつながるわけですね
山口:「そうです。最初の頃は、宮本武蔵と同じで腕試しと称して、公募ガイドを買ってコンテスト荒らしをやってました。その後、ムーへの定着をはかるわけですが、結局はムーとは離れました。先輩作家さんがたくさんいて食い込めないし、有名な作家さんが別のペンネームで何本も記事を書いていました。それに、当時ブームだったオウムとかに対する考え方の違いもありましたし」
――それから、どういう戦略をとるんですか?
山口:「まずニッチ作戦です。先輩作家が入ってない部分を狙うんです。当時は荒俣宏、京極夏彦、つのだじろう、稲川淳二、五島勉、桜金造、矢追純一、宜保愛子、水木しげる、つまみ枝豆といったキラ星のような人々の中に入っていくのでもう大変です。彼らがやっていないメディアの東京スポーツ、内外タイムズ、レジャーニュースといった駅売りの新聞にセールスしました。もう入れ食いですね」
――一時期、コンビニコミックはすごい勢いですからね
山口:「その後のターゲットは、ネットの世界に行きましたね。有料のメールマガジンを作ったり、ニュース配信サイトをプロデュースしたり。それと同時に町おこしに焦点を絞りました。青梅の雪女から始まり、岐阜の口裂け女、銚子寺のUFO町おこし、徳島の怪物町おこしと次々仕掛けました」
――妖怪町おこしですか
山口:「僕の真似をして町おこしを始める人もいましたよ。でもね。一回地方の町おこしをしたら、一生涯付き合う気持ちがないとダメですよ。ちょうどその頃、クリプトツーリズムという言葉がアメリカで流行ってまして、僕が翻訳して、化け物観光学として日本で紹介したんですよ。僕が造語した言葉なのにその言葉をそのまま使うテレビ局がありました(笑)」
――そのあとはテレビですか?
山口:「ネット、コンビニ、まちおこしがプロジェクトの三本柱ですから。後はテレビで仕上げですよ。コンプライアンス問題がテレビ業界にありましたよね。テレビマンの間では、オウム=オカルト=怪しいモノという図式がありましたよね。これを大学院で修士号を取ることでクリアしたんです。妖怪は民俗学、未確認生物は、生物学、宇宙人は科学、心霊は心理学といったふうに、すべて学問で置き換えたんです」
――それは論理的ですね
山口:「今もまたコンプライアンスがうるさいですよね。でもオウム= 怪しい物と言う図式は薄れつつあります。もう一回肝に命じてやらないとだめですね。一体誰がここまで苦労してコンプライアンスのクリアしたのか、よく考えてもらいたいものです(苦笑)」
――数多くのテレビをつくりましたよね?
山口:「そうですね。できる限り立ち上げ当初から絡むようにしております。仕事は待っていても来ないんですよ。仕事は自ら作らないと、その仕組みがわからないでもいつまでなっても、僕の下についても、わからない子はいるんですよね。これはイベントでも出版でもネットビジネスでも何でも一緒です。待ってるだけじゃ仕事が増えないんです」
――こうしてオカルト作家として、食う道が確立していくわけですね
山口:「ガチ怪談、怪談師、クリプト、ツーリズム=化け物観光学、これら言葉を作ることも大切ですよね。こういう新しい概念や考え方を造語として普及させることも大切です。これはつのだじろう先生の教えです。言葉は業界を支配すると言う考え方です。僕を否定している連中が、僕の言葉を使っていて大笑いしたこともあります」
――では読者の皆さんにヒントを与えるとすれば何でしょうか?
山口:「常に新しいものを考える頭を持つことです。大きい企業にいても何も考えなければ同じです。たとえ小さな会社にいても、小さな個人で活動していても、社会に大きな波を起こせると思い込んで、動くことが大切なんです」
「待っていても仕事は来ない。自ら仕掛けて動き続けることが、作家として生き残る唯一の道だ」。
言葉を武器に、常に新しい分野を切り拓いてきた山口敏太郎氏の言葉は、作家を志すすべての人にとって、大きなヒントとなるはずだ。
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