ソ連は“宇宙人”を探していた… 米ソ冷戦下で始まった、もう一つの知られざる宇宙開発競争

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 人類が宇宙へと目を向け始めた20世紀後半。アメリカとソビエト連邦が月を目指し、熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていた時代、その水面下で、もう一つの壮大な探求が始まっていた。それは、地球外知的生命体(SETI)の探索だ。

 人工衛星や宇宙船との通信に不可欠な「電波」。しかし、この電波こそが、やがて天文学者たちを「宇宙にいるのは我々だけなのか?」という根源的な問いへと導いていく。これは、鉄のカーテンの向こう側で、国家の威信と科学者の夢が交錯した、ソ連版SETIの知られざる物語である。

すべての始まりは“雑音”だった―電波天文学の夜明け

 第二次世界大戦後、戦争のために開発されたレーダーアンテナは、平和利用の道を歩み始めた。天文学者たちは、これを宇宙に向けることで、人間の目には見えない「電波」で輝く星々や銀河の姿を捉える、「電波天文学」という新たな扉を開いたのだ。

 しかし、この新しい観測方法には厄介な問題がつきまとった。人工衛星や地上からの通信電波が“雑音(干渉)”として紛れ込み、精密な観測を妨害してしまうのだ。科学者たちはこの“邪魔者”に頭を悩ませたが、やがて、ある逆転の発想が生まれる。

「もし、我々が地球外の文明から発せられる“人工的な電波”を捉えることができたら…?」

 偶然の“雑音”こそが、やがて壮大な探求の引き金となった。自然現象を観測するのが常識だった天文学の世界に、「人工物」を探すという、全く新しい分野が誕生した瞬間だった。

ソ連SETIの父、シュクロフスキーと最初の“メッセージ”

 この新しい分野にいち早く魅了されたのが、ソ連の著名な電波天文学者、ヨシフ・シュクロフスキーだった。彼は宇宙に最も豊富に存在する元素「水素」を電波で検出する方法を確立し、電波天文学の黄金時代を築いた立役者の一人だ。

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ヨシフ・シュクロフスキー|Photo: Woodruff T. Sullivan III / NRAO/AUI Archives, Sullivan Collection| 出典CC BY 4.0

 その彼が、1960年、ソ連で最も権威ある科学雑誌に一本の論文を発表する。「他の惑星の知的生命体との交信は可能か?」。この記事は大きな反響を呼び、1962年には『宇宙・生命・知性』という本として出版され、大衆的な人気を博した。

 そして同年、ソ連はついに宇宙へ向けて、人類史上初となる本格的なメッセージを送信する。クリミア半島のレーダー基地から、金星に向けて発信されたそのメッセージは、モールス信号で綴られた3つの単語だった。

「MIR(ミール)、レーニン、USSR(ソ連)」

「ミール」は、ロシア語で「平和」と「世界」という二つの意味を持つ。これは、地球外生命体との交信を期待したというよりは、ソ連の技術力と平和への願いを宇宙に示す、極めて象徴的な行為だった。

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画像はUnsplashDonald Giannattiより

国家事業へ―秘密会議と“ノアの箱舟”

 シュクロフスキーの情熱は、やがて個人の探求から国家を巻き込むプロジェクトへと発展していく。しかし、軍事衛星もまた電波に依存していた冷戦時代、人工電波の探査はきわめてデリケートな問題だった。

 世間の過剰な注目を避けるため、科学者たちは1964年、モスクワから遠く離れたアルメニアのビュラカン天文台に集い、秘密裏に会議を開いた。ここで、宇宙からの人工信号を専門に研究する公式なグループが結成され、ソ連のSETIは、ついに国家主導のトップダウンな活動へと姿を変えたのだ。

 そして1971年、このビュラカンで、歴史的な国際シンポジウムが開催される。鉄のカーテンを越えて、アメリカとソ連を中心に、東西両陣営のトップ科学者約50名が一堂に会したのだ。

 この奇跡的な会合は、出席者たちから「ノアの方舟」と呼ばれた。開催地アルメニアが、旧約聖書でノアの方舟が漂着したとされるアララト山の麓に位置していたからだ。政治的な対立が激化する冷戦の最中にあって、科学者たちは「宇宙に我々以外の知性はいるのか?」という一つの問いの下に団結した。この会合で設立された国際的なSETIグループは、形を変えながら現在も存続している。

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ビュラカン天文台 By MariSha – originally posted to Flickr as Byurakan, CC BY-SA 2.0, Link

鉄のカーテンを越えた夢

 もちろん、これまでに地球外文明からの信号は確認されていない。ソ連のSETIも、国家の厳しい情報統制や、冷戦という時代の壁に阻まれ、多くの困難に直面した。

 しかし、鉄のカーテンの向こう側で、科学者たちが宇宙の壮大な謎に真摯に向き合い、時には敵対する国家の科学者とさえ手を取り合おうとしていたという事実は、紛れもない歴史の一ページだ。彼らが見た夢は、今も世界中の科学者たちに引き継がれ、壮大な探求は続いている。

参考:The Conversation、ほか

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