【TOCANA的UMAファイル #24】「ケンムン」 ── マッカーサーを祟りに海を渡り、また島へ帰ってきた森の妖怪

戦後の奄美大島で、島の人々は「マッカーサーの命令だ!」と叫びながらガジュマルの大木を切り倒したと伝わる。木に棲む妖怪の祟りを、命じた張本人のほうへ向けるためだ。そしてマッカーサーが亡くなると、島ではこう囁かれた──あいつは、アメリカまで祟りに行っていたのだ。
基本データ
名前:ケンムン(ケンモンとも)。沖永良部島では「ヒーヌムン(木の者)」と呼ばれる
生息地:鹿児島県・奄美群島。ガジュマルやアコウの古木に棲むとされる
初出:江戸末期、薩摩藩士・名越左源太が奄美への遠島中にまとめた『南島雑話』に、ケンモンの類とされる図が残る
姿:5〜6歳の子どもほどの背丈で、全身が毛むくじゃら。手足は細長く、頭には水(一説には油)をたたえた皿。顔は猿・犬・猫に似るという
由来:「化け物」「怪の物」が訛ったとする説がある
好物と弱点:魚の目玉と貝が大好物で、相撲が大好き。タコが大の苦手
事件簿
古くは明治・大正期から、実名での目撃談が数多く語られてきた。戦時中には、空襲を避けてガジュマルの下に身を寄せた人々の食事がいつの間にか平らげられ、食器の鳴る音だけが聞こえた、という話も残る。
徳之島では、戦後から1960年代にかけて目撃が相次いだそうだ。ケンムンはサトウキビ畑を行列になって歩き、目が合った者は気が遠くなって気絶したようになる。ただし体に危害はなく、そっとしておけば大丈夫とされる。
2010年1月には、奄美大島・名瀬の海岸で、指が3つに分かれた直径約5センチの足跡が約20メートルにわたって見つかったと報じられた。奄美博物館の館長は、20年ほど前にも同じような足跡が見つかったと語ったという。
ホントカナ?
正体については、いくつもの見方がある。『南島雑話』の時点ですでに本土の河童と混同されており、奄美考古学の第一人者だった故・中山清美氏は、ケンムンを集落をまとめるための妖怪だと語っていたそうだ。もめごとを「ケンムンの仕業」にして丸く収める、島の知恵だったという見方もある。
目撃が減った理由もはっきりしている。戦後の伐採や開発で、棲みかのガジュマルが次々に失われたからだ──伝承に寄り添う側も、懐疑的な側も、ほぼこの説明に落ち着く。
だが、この話には続きがある。マッカーサーの死後しばらくして、ケンムンはまた姿を見せ始め、島では「ケンムンがアメリカから帰って来た」と噂が立ったというのだ。棲みかを失って消えたのなら、戻ってくる理由がない。消えたことも、戻ってきたことも説明できるのは、いまのところ島の人々の「祟りに行っていた」説だけなのである。

TOCANA的まとめ
島の人々は、木を切るその瞬間でさえ、ケンムンへの気づかいを忘れなかった。命令の主の名を叫んで祟りの向き先を変えるという機転は、それだけ本気でケンムンを怖がり、本気で大事にしてきた証だろう。2021年に世界自然遺産となった森の島で、ケンムンはいまも愛され続けている。宇検村には2022年に観光交流施設「ケンムンの館」が開館し、村のあちこちに置かれたケンムン像を巡るスタンプラリーまで開かれている。
トリビア
ケンムンはタコが苦手で、タコを投げつけると逃げるとされる。手元にタコがなくても、「ヤツデマル」と叫べば逃げていくそうだ。
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2024.10.02 20:00心霊【TOCANA的UMAファイル #24】「ケンムン」 ── マッカーサーを祟りに海を渡り、また島へ帰ってきた森の妖怪のページです。奄美大島、UMA、TOCANA的UMAファイルなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで
