>  >  > 【臨界事故ミステリー】「年内に死ぬぞ」デーモン・コアの消滅

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 石川翠のワールド・ミステリー スペシャル・シリーズ 全2回:復讐か、呪いか? 悪魔の球体デーモン・コアのミステリー【後編:物理学者ハリー・ダリアンの実験】前編はコチラ


■第二の犠牲者、現る

 ハリー・ダリアンの死から9カ月がたった1946年5月、「デーモン・コア」の“身のふり方”が決まった。悪魔は史上4番目の原爆として、太平洋のビキニ環礁上空で爆発させられることになったのだ。これを「クロスロード作戦」という。

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ルイス・スローティン「Wikipedia」より

 5月21日、ハリーの友人で同僚のカナダ人物理学者、ルイス・スローティン(Louis Slotin/1910─1946年)は、「デーモン・コア」を使う最後の実験を行うことにした。

 未臨界の核分裂性物質に、中性子反射体をどの程度近づければ臨界状態に達するか。内容的にはハリーと全く同じだが、反射体として、酸化タングステンのブロックの代わりに、お椀状にしたベリリウム製の球体が用いられた。球体は、上の小さなお椀と、下の大きなそれのあいだに、プルトニウム球をすっぽりと包みこめる大きさだった。

 スローティンは、お椀のあいだに、マイナス・ドライバーを挟みこみ、それを上下させながら、上のお椀を、悪魔のコアに近づけたり離したりして、シンチレーション検出器で放射能の測定をつづけた。

 もし、ドライバーが外れて、2つのお椀が完全にくっつくと、密封された「デーモン・コア」は即座に臨界に達し、大量の中性子線が放たれることになる。


■ドラゴンの尻尾をつつく者 ― 年内に死ぬぞ

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当時の実験の様子「Wikipedia」より

 この実験は、研究所のリチャード・ファインマンが「まるでドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」と批判し、ノーベル賞物理学者エンリコ・フェルミも「そんな調子では年内に死ぬぞ」と忠告する、ほとんどの研究者が参加を拒否する悪名高いものだった。

 スローティンの実験は、2014年のわたしたちからすれば、ずいぶんとガサツで原始的に見える。その上、彼はこの時、使用義務のある安全ウェッジをなぜか、用いなかった。これは、もしドライバーが滑っても、ベリリウムのふたがコアにかぶさらないようにするものだ。

 しかし、それにしても、なぜ、彼は…そして、はたして、ドライバーは滑った。こうして、ふたたび、地獄の釜のふたが音もなく開いた。

 落ちたベリリウムのお椀が、コアを完全に包みこんだ。悪魔は、非情にも臨界を超え、ハリーの事故と同様、たちまち青い閃光が部屋を満たした。

 スローティンの名誉のためにつけ加えるなら、彼はすぐさま自らを危険にさらすことで、つまり、素手で球を払いのけることで、反応を止めた。けれども、このため、わずか1秒のあいだに、ハリーが浴びた放射線量の数倍、21シーベルト(0.1マイクロ・シーベルトの21万倍!!)の中性子線とガンマ線に曝された。

 反応は即座にやって来た。研究室の外に向かいながら、彼はすでに嘔吐していた。その9日後、スローティンは苦しみ抜いた末に死亡した。ご興味の向きは、この実験の再現映像もご覧いただきたい。(映像は、コチラ


■2つの謎と被爆者たちのその後

 さて、以上の物語は、いわゆるヒューマン・エラーが引き起こした、単なる事故に思えなくもない。けれども、そこには依然、大きな謎が残されたままになっている。

 まず、ハリーの臨界事故についていえば、それが起きたのは、一日の仕事を終えて寄宿舎に戻り、夕食をとった後の、夜9時半過ぎだった。彼はどうしてそんな時間に研究室に戻ってきたのか? その理由はいまだ明らかにされていない。

スローティンにしても、安全ウェッジを使用しなかった理由がわからない。また同僚がこれに気づかなかったのは、なぜなのか…。2人の有望な後進の死に対して、研究所の科学者たちの何人か、その唇から漏れた言葉は「リベンジか…」だったと伝えられている。復讐? だが、だれが…なんのために?


■悪魔のコアの犠牲者は、かれら2人にとどまらなかった

 ハリーの事故が起こり、あたり一帯がプラズマの青い閃光に包まれた時、研究室の警備にあたっていた陸軍二等兵ロバート・ヘマリー(29才)は、33年後、白血病で死亡した。

 また、スローティンの事故の際、彼の肩越しに「デーモン・コア」をのぞいていた核物理学者アルビン・グレイブス(Alvin Graves/ 1909–1965年)も重度の放射線中毒で数週間の入院を余儀なくされた。その後も、視力の低下や神経障害など、慢性的な健康不安にさいなまされつづけ、18年後、放射線症に苦しみながら、心臓発作により55才で他界した。

 しかしながら、彼は被爆後も核兵器開発に意欲的に─いや、だからなおさらなのだろうか─取りくみ、やがて、アメリカの核大国化を推進する最重要人物の1人に名を連ねてゆく。核にとり憑かれたかに見えるグレイブスの、その後の常軌を逸した言動については、稿をあらためてご報告させていただこう。

 そのほかにも、スローティンの研究室にいた6人のうち3人は、事故のために寿命が縮まったものと考えられている。

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