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【音楽と宇宙人】を語る特別企画!

 歌人の笹公人とミュージシャン、作詞家、プロデューサーのサエキけんぞうの特別対談。第3回では前回に続き、YMOとUFOの関係について語った。アナログとデジタルの狭間の時代に何が起こっていたのか? (第1回はコチラ)(第2回はコチラ

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左:サエキけんぞう 右:笹公人
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上、『泰安洋行』(日本クラウン)、下、『はらいそ』(Sony Music Direct)

サエキ:1978年に細野(晴臣)さんの『はらいそ』というアルバムが出たんです。このジャケットは横尾忠則さん風ですが、横尾さんではない人が手がけています。いろいろなコラージュが横尾さん風になっていて、その図柄が不思議なイメージなんですね。1つ前のアルバムの『泰安洋行』は音楽的内容は似ているんですが、ジャケットは1940~1950年代みたいな、細野さんが好きなレトロな世界観なんですよ。そこにはまだ宇宙とか、スピリチュアルな感じというものはなかったんです。

ところが、『はらいそ』では完全にビジュアルが宇宙になっていて、宗教っぽくなっているというか、あっち側にぶっ飛んでいるんですよね。その変化をキチっとおさえておきたい感じがします。細野さんが『はらいそ』に至るまではどういう軌跡だったのか、世の中的にはどんな変化が起こっていたのか、ということを話したいですね。

:細野さんの自伝本によると、その頃にはすごく苦しいことがあって、それで密教などにのめり込んでいたみたいですね。

サエキ:そこで密教が入ってくるんですね。

:密教とかカバラとかカスタネダの本とかを読みまくっていたそうです。

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サエキ:僕もその時期に細野さんとお話しする機会があって「ドン・ファンの教え」(カルロス・カスタネダ (著), 真崎義博 (訳))を進められ、読んで感激し、大きな影響を受けました。公私共に、細野さんはこの時期急速にスピリチュアルな方向に寄っていったわけですね。

: YMOがうまくいかなかったら音楽をやめて出家しようと考えていたそうで、『はらいそ』の歌詞の「バイバイ」は、東京湾から東京にサヨナラという気持ちがこもっていたそうです。もしもYMOをやらずに高野山で僧侶になっていたとしても、細野さんなら、歴史に残るような名僧・高僧になっていたでしょうけどね。

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