日本人UFOコンタクティー第1号は誰? ~歴史から紐解く日本人と宇宙人の邂逅~

 本来「コンタクティー」とは、UFOに乗った宇宙人と“友好的に接触した”人物を指す言葉である。しかし現在は、宇宙人とテレパシーのみで意思疎通したり、UFOを呼び出したりする人物に対しても用いられている。

■日本にもたくさんいるコンタクティーたち

 UFO史上、最初にコンタクティーとして名乗り出たのはアメリカのジョージ・アダムスキーであるが、彼が自らの体験談を公表すると、同様の主張をする者が続々と出現した。実は日本にも、こうした自称・コンタクティーが意外にも大勢いる。

 今では超能力者として活躍している秋山眞人氏、何度もUFOに搭乗したと語るトパーズ・ルアール(本名:津島恒雄)氏、そして北海道の藤原由浩氏もコンタクティーであると主張している。また、テレパシーでUFOを呼ぶことができると主張する人物としては、故・高坂克己氏が有名だったし、昨年末の「ビートたけしの超常現象(秘)Xファイル」(テレビ朝日系)には、日本人コンタクティー3名が出演している。


■誰が日本人コンタクティー第1号なのか?

 では、日本で最初のコンタクティーとなると、一体誰なのだろう。歴史を遡れば、徳川家康が出会ったという「肉人」(妖怪「ぬっぺふほふ」、もしくは中国の妖怪「封」)こそ宇宙人だとする説もあり、そうなると記録に残る最初のコンタクティーは徳川家康ということになってしまう。しかし今回は、あくまでも1947年の「ケネス・アーノルド事件」(公式にUFOが認知された事件)以降、報道等による当時の記録でそのコンタクトが確認できる人物、ということでUFO史を遡ってみよう。

 実は、先月27日放送の「ビートたけしのテレビタックル」(テレビ朝日系)にも登場した坂本廣志氏は、4歳の時、つまり1951年頃から宇宙人とコンタクトしているという。しかし、残念ながらこの主張は古くからのUFO研究家の記憶からも当時の報道からも確認できないので、今回「公式」に認定することは留保したい。

 また一部の書物には、日本人コンタクティー第1号を岡山の安井清隆氏としているものがある。安井氏は1960年4月23日、宇宙人からのテレパシーを受けてUFOの出現を予告し、UFO研究家でもある夫人の畑野房子氏と長女とともに実際にUFOを目撃した。そして同じ月の30日には、身長2メートル近い宇宙人と会い、その年の10月31日には円盤に乗って月と金星を見てきたという。

 若い頃は左翼活動家で、唯物論者を自称し、しかも夫人のUFO熱にも批判的であった安井氏が、自らこのような体験談を公表したということ自体が注目すべき事件ではある。しかし実は、安井氏のコンタクトの前年、1959年には「宇宙友好協会」代表・松村雄亮氏が宇宙人とのコンタクトを果たしている。それでも最初のコンタクティーとなると、この松村氏からさらに1年遡ることになる。

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