【死刑囚と面会】極悪殺人鬼・伊藤和史の“同情せざるを得ない”壮絶状況が判明! 一家3人殺害事件犯の実像
■死刑を確定させた最高裁も同情的
この事件の経緯は、控訴審判決がもっとも詳しく認定している。それは次の通りだ。
大阪の風俗店で働いていた伊藤が真山文剛(仮名)という暴力団組員の男に因縁をつけられて暴行され、家の合鍵を取り上げられたのは05年の夏だった。以来、伊藤は真山に言われるままに養子縁組をして姓を変え、消費者金融で借金させられたり、仕事で得た金を取り上げられるように。この間、ビールジョッキで頭を殴られたり、包丁で足を刺されるなどの激しい暴行も受けていた。
そして翌06年1月、伊藤は被害者の北村親子と出会う。北村礼司が真山の舎弟だった縁だ。やがて伊藤は北村博史が営む高利貸し業を手伝わされるようになるが、08年の夏、衝撃的事件が起こる。兄貴分の真山を疎ましく思っていた北村の長男の礼司が真山を拳銃で撃ち殺したのだ。
その場に居合わせた伊藤は、礼司から真山の遺体の遺棄を手伝わされ、その後は博史の営む会社で働かされることに。長野市の事務所の住み込みにされ、09年からは監視カメラの設置された北村親子宅で同居させられた。
それ以降、伊藤は朝から夜まで博史の会社で働かされ、収入を得るために深夜は別の仕事をし、1日3、4時間しか眠れない日々が続く。休日も博史や礼司の付き人や運転手として拘束され、暴力も頻繁にふるわれた。「大阪の妻子に会いたい」と再三訴えたが、「真山のようになってもいいのか」と脅かされ、帰宅できたのは盆や正月、自宅が火事になった時などだけだった。
伊藤は疲弊し、逃げ出したいと考えた。だが、北村親子が高利貸し業の債務者が逃げた際に住民票の除票から住所を突き止めたのを知っていた。逃げても逃げ切れないし、家族にも危害が及ぶかもしれない。北村親子は警察と懇意にしており、警察も頼れないと思えた。
やがて伊藤は、この生活から解放されるには北村親子を殺すしかないと考えるように。翌10年には、同僚の松原も「同じ考え」だと知る。そして松原と共に同僚の池田や取引先の斎田も引き込み、犯行に及んだ――。
以上が裁判で認定された事件の経緯だが、最終的には殺人犯となった伊藤は元々「被害者」だったと言えなくもないだろう。事実、伊藤の死刑を確定させた最高裁も判決で「動機、経緯には、酌むべき事情として相応に考慮すべき点がある」と述べたほどだった。
■律儀すぎる男
「なんていうか、僕の中では、当時は漫画の世界に引きずり込まれたような感覚でした。世間では、『怖い』とか『恐怖』とか簡単に言うけど、『怖い』とか『恐怖』とか、そういうのを超えていましたから」
伊藤は事件当時の心情をそう振り返っていた。しかし一方で、獄中では日々、被害者のために読経にいそしんでいた。それと共に支援者らのサポートをうけ、自作の絵をポストカードにする活動にも打ち込んでいたが、「伊藤和史という存在をできる限り、色々な形で残したい」という思いが創作意欲の源とのことだった。
面会に訪ねると、その後たいてい手紙をくれたが、いつも恐縮するくらい丁重な感謝の言葉がしたためられていた。
〈普段、会話の出来ない私に、会話するチャンスを与えて下さり、とても感謝しております〉
〈大切なお時間を私と向き合うお時間として費して頂いたこと、大変に感謝しております〉
この律儀すぎる男を取材しながら、筆者は何度も「仮に自分が事件当時の伊藤だったら、どんな選択をしたろうか」と自問させられたものだった。
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2024.10.02 20:00心霊【死刑囚と面会】極悪殺人鬼・伊藤和史の“同情せざるを得ない”壮絶状況が判明! 一家3人殺害事件犯の実像のページです。殺人、死刑囚、片岡健、死刑囚の実像、伊藤和史などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで