中国でブッダの歯や骨など遺骸200パーツが出土、本物か! 仏教的には“価値がない”のに1000年前の僧侶が20年かけ収集
■ブッダの骨にはどんな価値があるのか?
ところで、ブッダの骨ともなれば、さぞすごいご利益があるように思われるが、残念ながら、そのような効果はないようだ。ブッダ自身も死の直前に「もろもろの事象は過ぎ去るものである。おこたることなく修行を完成しなさい」(『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』岩波書店)と語っているように、そもそも、いつか滅びる骨なぞに執着するのはブッダの教えに反すると見ることもできる。
日本では先祖崇拝と相まってお墓に火葬した骨をおさめることが慣わしとなっているが、タイやチベットなどの仏教国には墓がないように、遺骨に特別な意味を込める教えはもともと仏教にはない。そもそも、49日を過ぎれば次の生命に輪廻転生するため、仏教からみれば遺体の価値は路傍の石と変わらないということになる。自身の死を悟ったブッダも、「わたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである」(同)と説いているように、価値があるのはただブッダの語った真理(ダルマ)だけというわけだ。
そう考えると、Yunjiang とZhimingは20年間もよくブッダ(と思しき遺骨)を集め回ったものだが、このことが仏教徒として正しい態度であったとは到底思えない。2001年にアフガニスタンのバーミヤーン遺跡の2体の大仏が宗教上の理由から偶像崇拝を忌避するターリバーンにより破壊された時や、2013年にドイツのミュンヘンで仏像を転がした屋外展示があった際に、仏教徒が抗議をしたが、これも「もろもろの過ぎ去る事象」に執着するブッダの教えとは無縁の態度であろう。
禅仏教には、「南泉斬猫」(なんぜんざんびょう)という公案(いわゆる禅問答)がある。南泉という禅師が、あまりにもかわいい子猫を取り合って弟子2人が喧嘩をしているのを目撃、猫を取り上げ「何か一言言ってみろ、言わないと猫を殺す」と弟子たちに言い放つが、弟子らは沈黙してしまい、南泉は猫を切り殺す。後に、南泉は趙州という僧にその一件を話し「お前だったらどうするか?」と問いかけたところ、趙州は草履を脱ぎ頭に乗せて立ち去った。それを見た南泉は、「ああ、お前がいたら猫を殺さずに済んだのに」と呟くという話だ。
問答においては、趙州の奇妙な行動が問題となるが、ここで注目したいのは、南泉が躊躇することなく執着の対象となっていた猫を切り殺した点である。殺された猫はかわいそうだが、執着を生み、修行の邪魔となる対象を排除するこの姿勢こそ仏教的態度だといえるだろう。もしブッダの遺骨が衆生の迷いを生んでいるとしたら、むしろそんなものは砕いて川に流してしまった方が良いのかもしれない。
参考:「New Science」、「Daily Mail」、ほか
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