スターリンの忠実なる“死刑執行人” ロシアの怪奇人物・ラヴレンチー・ベリヤの冷酷な生涯とは?

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■グルジア共産党第一書記からモスクワの党中央委員会へ

berija_02.jpgスターリン(左奥)とベリヤ(右)ベリヤが膝に乗せているのはスターリンの娘・スヴェトラーナ。この写真はしばしばベリヤのスターリンに対する阿諛追従を象徴する写真として引用される。

 その後ベリヤは持ち前の権謀術数に長けた謀略者としての力量と、権力闘争における自分のライバルを互いに敵対させるために卑劣なデマを流布する能力にものを言わせ、ライバルを蹴落とし、党内で出世の階段を駆け上がっていく。 

 1926年にはチェーカーの後身であるゲー・ペー・ウー(=Государственное Политическое Управление=国家政治保安部)のグルジア支部長となる。同年、ベリヤは初めてスターリンと直接会い、それ以来スターリンの忠実なる“懐刀”として、「反体制分子」「敵対的」というレッテルを張った人間やグループに対して、容赦ない弾圧を加えていく。アゼルバイジャンとアルメニアを含む南カフカスチェーカーを指揮する立場についたベリヤは、とりわけボリシェヴィキと対立していたロシア社会主義労働党内の少数右派、いわゆるメンシェヴィキに対する弾圧を苛烈に行っていく。1925年には見せしめのための公開裁判が行われ、メンシェヴィキに対して「貴族主義者」「革命の裏切り者」というレッテルが張られ、100人以上が逮捕・拘束された。ベリヤはメンシェヴィキに対するこうした弾圧によって自分自身の政敵の抹殺をカモフラージュした。

 この時期、ベリヤはあらゆる手段を用いて自分の出世の妨げとなるグルジアの党地方委員会指導者達の地位を失墜させた。例えば1929年の秋、スターリンがウクライナのソチで休暇を過ごしていた際、南カフカースの党地方委員会の指導者達がスターリンに接見しようと、スターリンの滞在する別荘を訪れた。ところがスターリンの警護隊長だったベリヤは、「目下スターリン同志は忙しいので待つように」と彼らに告げた。結局一日中待っていてもスターリンに接見することのできなかった彼らは、夜遅く車で引き返した。別荘の窓越しにそれを見ていたベリヤは室内でくつろいでいた(!)スターリンにこう伝えたという。

「何という強情な奴らでしょう。ほんの30分待っていて欲しいと頼んだだけなのに」

 残虐さで人々を畏怖させるだけでなく、このような狡猾さで自分が政敵と見做す者達の評判を貶め、権威を失墜させる策略をめぐらすことでベリヤはこの後1931年にはグルジア共産党の第一書記にまで上り詰め、さらに1934年にはソ連共産党中央委員となり、モスクワの中央政界に進出する。

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コメント

2:匿名 2017年12月9日 17:50 | 返信

とんでもねーロリコン野郎だよね、、

1:匿名 2017年12月9日 15:29 | 返信

日本ではその役目が世耕や菅がやってるわけだ。自民党ネトサポ クラブの管理運営、世論誘導、言論弾圧。官房機密費から右翼サイトや出版社、言論人へのカネの流れを掌握、市民を監視し世論を創る 秘密組織は国家運営において最も重要

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