スターリンの忠実なる“死刑執行人” ロシアの怪奇人物・ラヴレンチー・ベリヤの冷酷な生涯とは?

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■スターリンの忠実なる“死刑執行人”として

berija_05.jpgソ連による粛清「Axis History Forum」より引用

 ベリヤがモスクワに進出した1930年代半ばの時期は、数百万人ものソ連国民が犠牲となった、スターリンによる大粛清が始められた時期と重なる。1938年8月、ゲー・ペー・ウーの後継組織であるエヌ・ケー・ベー・デー(Народный Комитет Внутрений Дел=内務人民委員部)の議長代理にスターリンから任じられたベリヤは、エヌ・ケー・ベー・デーの長官であり、自分の上役であったニコライ・エジョフや彼の側近すらも事実無根の罪を擦り付けて粛清し、同年11月にはエヌ・ケー・べー・デーの議長に就任した。こうしてソ連国内の治安・警察権力を一手に掌握する立場に立つと、ベリヤは自らスターリンによる大粛清の指揮を執るようになる。

 粛清や弾圧に対する冷酷無比な手腕と並び、ベリヤに関して特筆すべきは、自分の出世や栄達にとって不可欠となる権力者・スターリンの政策を過大に賞賛し、その得心を得ることに対する抜け目ない能力である。

 ベリヤがこの時期、ソ連共産党中央委員会に提出したソ連国内の物資生産に関する報告書ではいずれも、レモン・茶・煙草・綿花といった農作物に関して軒並み「生産高が上昇した」として、それをもたらしたスターリンの政策手腕を手放しで賞賛しているが、一方で石油生産については一言も言及していなかった。

 スターリンはアゼルバイジャンのバクーの石油採掘労働者達を“労働英雄”として賞賛していたが、一方で石油パイプラインのメンテナンス業務が不十分で、バクーの石油採掘量は慢性的に不足していた。そのような生産停滞が発生する原因は石油採掘労働者が置かれている劣悪な労働環境や生活条件、低賃金と労働力不足に起因していたのだが、そうした問題に対してベリヤは一切口をつぐみ、ただ「石油採掘労働者同志は模範的労働英雄として石油採掘業務にひたすら邁進されたい」と繰り返すのみであった。

 ベリヤは権力を握る人間に対する阿諛追従、その異常なまでのこびへつらいが、その人間の権力をいかに強化せしめるのかをよく知っていた。ゆえに彼は自身が“茶坊主”として仕えるスターリンに対してのみならず、自分自身の権力基盤を強化するためにも、自分に忠実に仕える者たちからの媚びを無駄なく利用した。

 1933年、ボリシェビキ・ザカフカ―ス地方委員会の機関紙である『ザリャー・ヴォストーカ(Заря Востока)』紙は「『プラウダ』(=ソ連共産党の機関紙)の指示と同志ベリヤの指示に応えよう」という社説を掲載した。そして翌34年から、スターリンと並んでその職務代行者であるベリヤの名前を、ソ連国内のあらゆる施設や建築物に不朽に残す運動が始められていく。トビリシやバクーのあらゆる工場、油田、劇場や水産工場、師範学校等にもベリヤの名前が冠せられた。そして彼の名前が冠せられるたびに、その地方の党組織の指導者達はベリヤに祝辞を送り、ベリヤの忠実なる部下達は、互いにおべっかを使い合った。1936年にはトビリシでベリヤの名前を冠したクロスカントリーレースまで開かれている。白文字のベリヤの名前がヨットの帆を飾り、空にはラヴレンチ―・ベリヤという名前のグライダーが飛んだ。

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コメント

2:匿名 2017年12月9日 17:50 | 返信

とんでもねーロリコン野郎だよね、、

1:匿名 2017年12月9日 15:29 | 返信

日本ではその役目が世耕や菅がやってるわけだ。自民党ネトサポ クラブの管理運営、世論誘導、言論弾圧。官房機密費から右翼サイトや出版社、言論人へのカネの流れを掌握、市民を監視し世論を創る 秘密組織は国家運営において最も重要

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