世界が核戦争に最も近づいた7つの記録 — 冷戦時代、世界を破滅寸前に追い込んだ「ありえない失態」

数千発もの核弾頭を持つ二つの超大国が深い敵意と疑念を抱いて睨み合う。外交ルートは遮断され、50もの小国がそれぞれの思惑で動く、それが冷戦という時代だった。
この一触即発の時代、人類は何度も核戦争勃発まであと一歩のところまで追い込まれた。しかし、その引き金となりかけたのは、計算され尽くした戦略ではなく、驚くほど些細な、そして時には滑稽でさえある「ありえない失態」だったのだ。
ここでは、そんな核時代の危機一髪を7つ紹介する。
1. 白鳥の大群を「ソ連軍機」と誤認(1956年)

1956年11月5日、第二次中東戦争の真っ只中、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)は、ソ連による大規模攻撃が始まったことを示唆する複数の警告を受け取った。
黒海からエーゲ海へ向かうソ連艦隊、シリア上空を飛行する100機のソ連製ミグ戦闘機、撃墜されたイギリスの爆撃機、そしてトルコ上空を飛行する所属不明機。全ての情報が、第三次世界大戦の勃発を指し示していた。
しかし、そのすべてが全くの誤解だった。ソ連艦隊は通常演習中、ミグ戦闘機はシリア大統領の護衛機(数も誇張されていた)、イギリスの爆撃機は機械トラブルで緊急着陸しただけ。そして、トルコ空軍を緊急発進させた所属不明機の正体は、なんと白鳥の大群だったのである。
2. たった一つのモーターの故障(1961年)

1961年11月24日、アメリカ戦略航空軍団(SAC)とNORADを結ぶ全ての通信回線が、突如として完全に沈黙した。早期警戒レーダー基地からの情報が途絶え、SACは孤立。
通信網は幾重にも冗長化されており、完全なダウンはありえないはずだった。残された唯一の可能性は、「ソ連による大規模な核の先制攻撃」だ。
SACの全基地に警報が発令され、B-52爆撃機の乗組員はエンジンを始動。核兵器による報復攻撃の命令を待った。しかし幸いなことに、その命令は下されなかった。原因は、全ての通信回線がコロラド州にあるたった一つのリレーステーションを経由しており、そこの一つのモーターがオーバーヒートしたことだった。
3. オーロラに惑わされたスパイ機(1962年)

キューバ危機の最中、米軍のU-2偵察機はソ連を刺激しないよう、国境から100マイル以内に近づかないよう命じられていた。しかし1962年10月26日、北極上空を飛行していたパイロットが、オーロラの揺らめく光によって六分儀の正確な読み取りができなくなり航路を誤った。
結果、偵察機はシベリアのチュクチ半島上空に侵入。ソ連は直ちにミグ戦闘機をスクランブル発進させ、撃墜を命じた。
これに対し、アメリカはなんと核ミサイルを搭載したF-102A戦闘機を派遣し、U-2を護衛して帰還させるという、あまりにも危険な賭けに出た。信じがたいことに、この戦術は成功。さらに衝撃的なのは、核ミサイルの使用判断が現場のパイロットに委ねられていたことだ。
4. 侵入者の正体は「クマ」(1962年)

これもキューバ危機での出来事だ。1962年10月25日、ミネソタ州の空軍基地で、警備兵がフェンスをよじ登る不審な影を発見。侵入者に向けて発砲し、警報を作動させた。
しかし、ウィスコンシン州の別の基地では、この警報システムが誤って配線されていた。鳴り響いたのは侵入警報ではなく、核ミサイルを搭載したF-106A迎撃機に離陸を命じるサイレンだったのだ。パイロットたちはソ連との全面核戦争が始まったと確信した。
迎撃機がまさに離陸しようとしたその時、管制塔から一台の車が滑走路を疾走し、離陸中止の合図を送った。ミネソタの基地に侵入した不審者の正体が、ようやく判明したからだ。それは、一頭のクマだった。
5. 墜落した核搭載機(1968年)

1968年1月21日、グリーンランド近郊で、核兵器を搭載したB-52爆撃機が火災を起こし、乗組員は脱出。無人となった機体は、早期警戒レーダー基地のわずか11キロ先に墜落した。
機体は爆発し、核兵器を起爆させるための通常爆薬も爆発した。当時の技術では、この第一段階の爆発が、第二段階の核分裂反応を誘発し、核爆発を引き起こす可能性が理論上存在したが、幸いにもそれは起きなかった。もし核爆発が起きていれば、NORADは通信途絶と放射線検知という情報から、「ソ連による先制核攻撃」と結論づけ、即座に報復攻撃を開始していただろう。
6. 訓練用テープの悪夢(1979年)

1979年11月9日、米軍の4つの核兵器司令部のレーダー画面に、ソ連から大規模な核ミサイルが発射されたことを示すデータが表示された。その後の6分間で爆撃機は発進し、核ミサイルは発射準備に入った。カーター大統領不在のまま、大統領用の空中指揮機も離陸した。
しかし、どのセンサーも衛星も、実際のミサイル発射を検知していなかった。警報の原因は、ソ連の先制攻撃という悪夢のシナリオを描いた訓練演習用のコンピューターソフトウェアが、誤って本物のシステムに流されたことだった。偶然NORAD本部に居合わせたチャールズ・パーシー上院議員は、その場の反応を「圧倒的なパニックと恐怖」だったと語っている。
7. たった一つの欠陥チップ(1980年)

NORADやSACの司令部には、探知された敵の核ミサイルの数を表示するカウンターが設置されていた。通常、その表示は「0000」だ。しかし1980年6月3日の午前2時25分、このカウンターが誤作動を起こし、ソ連から2発のミサイルが発射されたかのような表示を出し始めた。
再び、核搭載爆撃機のエンジンが始動され、ミニットマンミサイルは発射準備に入った。この誤報からわずか3日後、全く同じ現象が再び発生。緊急対応手順がまたもや開始された。
最終的に、原因はたった一つの欠陥コンピューターチップと、配線の不具合だったことが判明した。
これらの事件は、人類の運命が、いかに脆く、予期せぬ形で脅かされていたかを物語っている。それはシステムへの過信と、ほんの些細なエラーが世界を終わらせかねないという歴史からの冷厳な警告なのかもしれない。
参考:Mental Floss、ほか
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