作業員59人が人為的に「水没」させられた史上最悪の炭鉱事故! 会社はなぜ非人道的な決断をしたのか、北炭夕張新鉱の今を取材!
事故の犠牲者59人(うち10人は死亡を確認)を坑内に封じ込めたまま、鉱員の手によって夕張川の水が注入されたのは、同年10月23日午後1時30分のことだった。それに先立ち1時20分には、夕張市内に“決別のサイレン”が鳴り響き、4万人の市民が仕事の手を休めて頭を垂れた。このサイレンは、「(夫やお父さんが)生きているかも知れないのに……」と思っていた家族にとって、永遠の別れとなった。そして、坑内に封じ込められた鉱員にとっては、“死の宣言”を意味するものとなった。
坑内に注入した水を排出し、全員の遺体を収容することができたのは、事故から163日あまり経った82年3月のことだった。テレビカメラを恐れた炭鉱側は、担架の上に人型の模造品を作り、綺麗な遺体が収容されたかのように装ったという。遺体の一部が火災による高熱と水没の影響で白骨化していたからだ。当時、北炭夕張新鉱で働いていた加藤大助さん(仮名)は、次のように話す。
「鉱員は、カンテラを持って坑内に入るのですが、このカンテラには認識番号がついています。番号で誰がどこで亡くなったのか分かりました。でも、全身骨をそれぞれの遺族に引き渡せたとは思っていません。1300度の高熱で焼かれた後に、水が注入されているわけですから、骨は砕け散っていたはずです。葬儀のときは、毛布などを使って人型を作ってから棺に遺骨を納めたと聞いています……」
北炭夕張新鉱は、原料炭(強粘結炭8200カロリーの日本最良の瀝青炭)を供給できる炭鉱で、70年10月に開発が開始された。当初の計画では、日産5千トン、年産150万トンが目標とされ、77年7月には、その目標を達成していたが、深層部の開発は予想以上に厳しく、それ以降は、出水や磐圧、ガス湧出などの影響もあって日産4千トン台に落ち込んでいた。起死回生を計るため、試掘中だった北部方面からの出炭に全力を注いだ結果、81年10月16日の事故を招いた。
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2024.10.02 20:00心霊作業員59人が人為的に「水没」させられた史上最悪の炭鉱事故! 会社はなぜ非人道的な決断をしたのか、北炭夕張新鉱の今を取材!のページです。事故、北海道、火災、作業員、北炭夕張新鉱、見殺しなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで