『RAW SOUL』李岳凌/赤々舎
■まだ見ぬ「台湾」を感知し写真に収める
――あとがきで、「台湾人の意識と無意識に潜っていく。未知の「台湾」は、謎や混乱の中に存在するのかもしれない」と記しています。このことは、撮影を通して台湾的なもの、「台湾性」のようなものにコネクトしていく、という意味合いかと思うのですが、李さんにとって、台湾性とはどういうものなのでしょうか?
李 私が思う台湾性とは、固定された既存のものではなく、発見されるのを待ち、絶え間なく発明されるものを指しています。私自身の生い立ちは、押さえつけられてしまった台湾人たちの生き様に当てはまるのだろうか? 突破口を絶えず探しながら問いをやめない私は何者なのか? 私たちとは誰を指すのか? そしてどこへ向かおうとしているのか?
――「押さえつけられてしまった台湾人たちの生き様」とはどのようなものか、もう少し詳しく教えてください。
李 300年来の台湾の歴史を振り返得ると、台湾人はずっと失語状態にあったことが見えてきます。オランダ人、鄭氏一族、清朝、日本、国民党政府といった異なる文化がこの地にやってきては、私たちの前の世代の言葉や記憶を消し去っていきました。つまり、台湾人としてのアイデンティティを常に抑圧されてきたわけです。これは台湾人の宗教観にも多大な影響を与えています。運命は自分でコントロールできるものではない、だからこそ、無形の、姿形の見えないパワーにすがるしかないのです。
私の家族を例に言えば、祖母は若い頃は「日本国民」でした。父が受けた教育は幻想の中のベロニアの形をした大きな中国でした。そして、私たちの世代というのは、1987年に戒厳令が解除され、台湾の民主化運動が盛んになって以降、初めて自分の足元の土の上でかつて何が起きたのかを少しずつ認識していったわけです。今に至るまで、台湾人のセルフアイデンティティというのは、未だに構築のプロセスにあるのだと思っています。