『RAW SOUL』李岳凌/赤々舎
李 例えばこの初期の作品は自宅裏のセブンイレブンで撮ったものですが、私は『便利廟』(コンビニの神棚)と呼んでいます。この手作りの小さな廟は誰が作ったのかわからないし、雑に積み重ねられています。「廟」という聖なるものと「コンビニ」という俗なるものが併置されているこの光景は、細かいことを気にしない台湾人の心性を反映するのと同時に、野草のようにたくましく自生するパーソナリティを反映しているとも思います。
――先におっしゃっていた台湾人の宗教性を表している。背景を知れば理解しやすい写真ですね。
李 これを撮った頃の私は被写体に対して記号的な見方をしていて、都市周辺の台湾人たちの生活の痕跡を見ていたんだと思います。その後、このような符号的追求を諦め、最終的にたどり着いたのがこのような写真です。
『RAW SOUL』李岳凌/赤々舎
李 何もないようで何かがある写真。実際のものを撮った写真の間の距離がだんだんと開いていったわけですね。それはコーザルリスニングとリチューズドリスニングの間をどこか遊離する視座だと思っています。
――写真集の表紙のイメージですね。
李 これを「海岸を撮ったようだ」という人もいれば「太陽の軌跡に似ている」という人もいますが、実際はアルミ板の前に生えた木の幹。背景のアルミ板に、後方のネオンが反射で映り込んだものです。これを表紙に選んだのは、抽象と具体の狭間にある、見た者が何かを問いかけたくなる写真だからです。それと、現実世界と精神世界の中間地帯にも似ていましたから。
――具体的な被写体でありながら、写真が伝えることの抽象度は上がっていますね。
李 このような具体と抽象の中間の写真では、写っている物が本来どういったものかはもはや重要ではなく、写真そのものがどのような感覚や連想を見る者に与えることができるかが重要だと思っています。