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「死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相」 画像はAmazonより引用

 1959年2月2日の夜。当時のソ連領ウラル山脈北部、先住民から「ホラチャフリ(死の山)」と呼ばれる峠で、スノートレッキング中だったディアトロフ・グループの男女9人が謎の死を遂げた。彼らはスヴェルドロフスク(現在のエカテリンブルク)にあるウラル工科大学の学生とOBで、いずれも十分な知識や経験を有するタフなトレッカーであった。しかし、彼らは自らテントを切り裂いて、防寒着もろくに身につけないままマイナス30度もの極寒の雪山に逃げ出し、命を失ったのである。

 異様なのは死亡の状況だけでなかった。検死の結果、見つかった遺体の一部は頭蓋骨や肋骨を骨折しており、中には生きたまま舌を切られたとみられる者もいた。さらに、残された衣服からは高濃度の放射能汚染が発見されたのである。この世界的にも最も不可解な遭難死亡事故は、一行のリーダーであるイーゴリ・ディアトロフの名をとって「ディアトロフ峠事件」と呼ばれるようになった。

 最近ではテレビ番組等で取り上げられて日本でも有名になりつつあるディアトロフ峠事件であるが、先日発売された『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』は、事件について興味を持っているならばまず手に取るべき本となっている。

 ディアトロフ・グループの身に、あの夜、何が起こったのか? 事件の正式な報告書に示された、彼らを死に至らしめた「未知の不可抗力」とは一体何なのか? 本書の著者ドニー・アイカー氏はこれらの謎に取り憑かれた一人である。アメリカでドキュメンタリー番組の製作に関わるアイカー氏は、たまたまこのディアトロフ峠事件を知り、やがてウェブサイトを読み漁るだけでは物足りなくなり、ろくに言葉も分からぬロシアへと向かう。

 アイカー氏は、事件の記録保存や謎の解明を目的に活動を行っている「ディアトロフ財団」の理事長ユーリ・クンツェヴィッチ氏とコンタクトを取り、彼の信頼を得ることに成功する。ディアトロフ・グループの日記や捜査資料といった様々な資料を提供してもらっただけでなく、そのツテで存命中の遺族や、ディアトロフ・グループ唯一の生還者であるユーリ・ユーディン氏とも面会を果たすのである。

 ユーディン氏へのインタビューは本書のハイライトの一つだ。持病の悪化で事件直前にリタイヤせざるを得なくなったため、グループの中でたった一人生き残り、捜索活動にも参加したユーディン氏。しかし、事件を面白おかしく取り上げられたり、亡くなった友人たちの人物像や人間関係を扇情的に描かれたりすることにうんざりしていたという。それでも取材に応じたのは、アイカー氏の事件や犠牲者に対する真摯な姿勢あってのことだろう。二度目に会った時には「あなたの国には、未解決の謎はないんですか」とアイカー氏を冗談半分にからかったそうだ。なお、ユーディン氏は残念ながら取材後の2013年に亡くなっており、本書はその貴重な最後の証言ともいえる。

 クンツェヴィッチ氏の協力のもと、ユーディン氏ら関係者への取材を重ねるアイカー氏。ご存知の通り、ディアトロフ事件の「真相」については、先住民や脱走囚やあるいはソ連軍による襲撃説、ミサイル実験事故説、さらにはエイリアン説までもがまことしやかに囁かれている(詳しくはこちらの記事)。そして、政府が事件の真相を隠蔽したという陰謀論も根強い。アイカー氏が科学的で合理的な説明を求めていた一方で、クンツェヴィッチ氏やユーディン氏は政府による陰謀論を支持していた。だが、アイカー氏が証言と資料を突き合わせていくと、様々な矛盾が生じることも判明していく。

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