東大卒医師による「女子学生肉棒治療事件」が激ヤバ! 座薬と偽り少女に…大正ノ最凶暴行事件を亜留間次郎が解説!
警察も裁判所も弁護士も、被害者の親から「安田財閥を敵に回す覚悟で言ってるんだろうな」ってガチギレで脅迫されての判決だったようです。
大正時代の少年の間で将来なりたいものベスト3といえば、「大臣、大将、博士」でした。その博士が酷い強姦詐欺師だったことが連日報道され、子供の夢を木っ端微塵に砕いた罪は重いと言えるでしょう。
判決後、小倉鎮之助はマスコミの取材に応じて、「娘を立派な淑女に育てるため、芝居や映画や小説や女性雑誌など一切の刺激から遠ざけた私に罪がある」と懺悔しています。
しかし、大野禧一は治療費として小倉から受け取った六千円の大金を使って弁護団を編成。保釈金を積んで釈放されると、姿を隠して逃げ回りながら最高裁まで徹底的に無罪を主張して争いました。最終的には、最高裁で懲役三年の実刑が確定して服役し、医師免許も博士号も剥奪され、東大の卒業者名簿からも抹消されました。
その後、大野禧一は出所後にマスコミの取材を受け、南米へ行くと言って当時流行っていた南米開拓団の一員として日本を出国しました。以後の消息は不明です。
刑期を半分にした弁護団は頑張ったといえなくもないけれど、この弁護団による無罪主張に安田財閥はガチギレです。安田財閥代表・安田善次郎の名前で、横浜から東京一帯の弁護士全員に「強姦犯を弁護したる者は安田の敵と見なす」という勧告書を送りつける騒ぎにまでなりました。
結果、戦後の財閥解体で安田財閥が消滅するまで、弁護士はうかつに強姦犯を弁護できなくなり、強姦魔にとっては非常に不利な状況になりました。
なお、被害者の小倉哲子は強姦によって妊娠させられた子供を産み、小倉家と親交のあった侯爵家の養子の陸軍将校と結婚してさらに二児を授かり、76歳まで生きています。持病の治療をしなくても平気だったようです。
女子学生肉棒治療事件と同年には、当時ベストセラー作家だった島田清次郎が海軍少将舟木錬太郎の娘を誘拐・監禁・強姦して起訴された事件が起きています。この大正2大強姦事件を契機に、社会では性について無知であることの無防備さが認識され、性教育の必要性が再確認されるようになり、明治末期にストップしてしまった日本の学校教育における性教育に関する議論が再燃することになります。本題から逸れていたようで、実は逸れていないのです。
これ以後、警察は真面目に強姦罪を犯罪として扱うようになり、「女性を強姦してはいけない」という社会常識ができました。めでたしめでたし…とならず!! 最終編に続く。
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2024.10.02 20:00心霊東大卒医師による「女子学生肉棒治療事件」が激ヤバ! 座薬と偽り少女に…大正ノ最凶暴行事件を亜留間次郎が解説!のページです。性教育、女子学生肉棒治療事件、小倉鎮之助などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで