■山麓のマイクロコスモス「Otari」
ーー『Otari – Pristine Peaks 山霊の庭』を見て最初に思い浮かんだのは、「神」「循環」「小宇宙」というイメージでした。山=自然=神を中心に人の営みがあって、そこには重奏的な循環がある。たとえば、生き物を獲って食べるという命の循環、子を産み育てるという血の循環。それぞれをつなげる水の循環。それを見せつけられた感覚があったんです。
野村 あとは四季の循環ですね。写真集の構成は四季で巡らせているので。水と四季と命の循環で写真集を組めないかと思っていたんです。西洋的にいうとティム・バートンの寓話世界みたいな? 日本的には民話のような本にしたかった。
ーーそれは制作当初から意図していた構成ですか?
野村 意図というよりカンのようなものですね。実際はもっといろいろなものをたくさん撮っているんです。でも、制作時点で考えて、かなり外しました。実際にいた現場では巻き込まれて撮ってましたから。
ーー「巻き込まれた」というのは?
野村 現地に行くと、やっぱり、出逢ってしまうんですよ。場所とか人とか。それで好きになっちゃう。それでも、あらかじめ決めたコンセプトに合ったものをピックアップして写真を撮っても面白くならないというのがどこかにあって、当初の目論見とずれてもいいと思って、積極的に巻き込まれていたんです。現場の流れに乗った結果どうなるかは、後から考えよう、まずは目の前の動きに素直に付いていこうって。