天安門での砲撃計画を企てたとして死刑に……スパイ罪で服役の日本人釈放で思い出される「毛沢東暗殺未遂『冤罪』事件」
山口はもともと、日本のスパイで、46年にアメリカのスパイ機関の諜報員となった。きっかけは同年5月、北京にあるフランス語書店の経理だったアンリ・ヴェッチの紹介でリーヴァと出会ったことだった。その後は、リーヴァの指示のもと、情報収集などに従事した。
リーヴァは1896年上海出身のイタリア人で、48年からアメリカ軍駐北平(現在の北京)領事館武官だったデイビッド・D・バレットのもと、スパイ活動に従事するようになった。本件も、バレットの指示によるものであったと断定されている。
逮捕後、数カ月に及ぶ尋問の結果、本件の主犯であることを認めたリーヴァ、山口には51年8月17日に死刑判決が言い渡され、天橋処刑場で銃殺刑に処された。仲間のフランス人アンリ・ヴェッチ、ドイツ人ワルター・ゲントナー、イタリア人タルチシオ・マルチーニ、ドイツ人グエルノ・ガルリオ、中国人馬新清は、終身刑、有期刑に処され、刑期の満期と共に中国から強制退去処分となった。
ローマカトリック教会在中国公使が、同教会所属の司教、タルチシオ・マルチーニが事件に関与した責任により国外退去となった>
天安門砲撃の計画と疑われる怪しい書簡が発見され、調べてみると手紙の主はアメリカの諜報機関と繋がっていることが発覚したため、仲間ともども逮捕。家宅捜査で公文書の控えや武器弾薬が出てきたため、追及したところ犯行計を画自白した、というのが中国側による事件の総括である。
ところが、事件に至るまでの山口の足跡をたどれば、中国側が用意したこうしたシナリオには、いくつもの疑問符が浮かび上がってくるのだ。
(後編へ続く)
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2024.10.02 20:00心霊天安門での砲撃計画を企てたとして死刑に……スパイ罪で服役の日本人釈放で思い出される「毛沢東暗殺未遂『冤罪』事件」のページです。中国、CIA、スパイ、諜報機関、天安門などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで