なぜ日本人は新型コロナで妖怪「アマビエ」に頼ってしまったのか!? 読み解くカギは『遠野物語』にあった? 民俗学者・畑中章宏インタビュー

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イベントの様子(撮影=松本祐貴)

「東北の遠野っちゅうところに伝わってる、けったいな話をぎょうさん聞いてきてん。これからおかんに聞かせたるなぁ」

 少し強引な仮定ではありますが、柳田という身体が聞き、理解した話として『遠野物語』を公共化するというのが関西弁に翻訳した一番の理由なのです。関西弁にすることで、もちろん関西人には伝わりやすくなりますが、それだけが理由ではありません。

 しかし、関西弁への翻訳は想像以上に大変な仕事でした。関西弁は口語なので定形がない。例えば、冒頭の献辞。元は「この書を外国に在る人々に呈す」ですが、私の訳では「この本を外国にいてはる人らに捧げます」となりました。本書を手に取っていただいた方には、じっくり味わっていただきたいですね。

■西洋合理主義的な実在とは違うありようで河童は実在する

 誰しもが気になるのが、河童、天狗、山人、臨死体験まで出てくる『遠野物語』が本当のことなのかどうかだ。いくら舞台が100年前の日本の田舎とはいえ、河童が遠野の川をウロウロしていたとは考えづらい。イベントではその問題についても畑中氏が解説をしていた。

畑中  『遠野物語』に書かれていることは事実なのか? という疑問を感じている方もいるでしょう。柳田は序文の中で「目前の出来事・現在の事実」と強調しているほどです。

 遠野物語は「むかしむかしあるところに〜」や江戸時代から語り継がれてきた話ではないんです。昨日、今日、現在の事実なんですね。また、「平地人を戦慄せしめよ」とも言っている。この平地人とは都会に住んでいる人の意味です。当時でも都会に住んでいる日本人は近代化されていました。

 出てくる話は亡霊、妖怪、霊獣、山の神、ほかにも暴力や差別、虐待や異人との交流なども扱っています。これが事実だとすると遠野は世間とはかけ離れた世界と感じられるかもしれません。ですが、「そんなことが本当にあったの?」というスタンスは『遠野物語』を楽しむのには向いていません。

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関西弁で読む遠野物語』(エクスナレッジ)より抜粋

 柳田のとった民俗学的な姿勢は、事実をありのままに受け入れるということでした。それがゆえに当人たちが本当に体験した生々しく、リアルな描写があるんですね。そこには昔話や寓話のようなストーリーや、因果応報の教えはありません。事実の列挙があるだけです。読む人が「嘘じゃないか」「こういう理由があるのかな」などと思わない方が面白いんですね。

 また、実在論の話になってしまいますが、「ここにコップがある」という西洋合理主義的な実在と、河童や霊魂はちがうありようなんです。歴史的に無数の人が「河童を見た」「触られた」「すもうをとった」と証言しているんです。これはもう河童は実在するとしかいいようがありません。河童がいるという流言やうわさを広めたところで、なにもメリットはありません。『遠野物語』の中にも伝承のリアリティーがたくさんあります。私たちが継承しているのはそんな河童や霊魂といった民俗的経験なんですね。

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