理解できなければ表現できない「明瞭性のパラドックス」とは!? 哲学者を悩ませる超重要命題、“落とし穴”からの抜け出し方を解説!

 新しいアイデアを思いついたり、これまで経験したことのない感情が湧き起こってきたりすることがあるが、それを言葉にして表現するのは難しい。どうすれば思いや感情を言葉で正確に表現できるのだろうか。

■理解できなければ表現できない「明瞭性のパラドックス」とは

 19世紀の大思想家、フリードリヒ・ニーチェは著書『善悪の彼岸』の中で、頭の中に浮かんだアイデアを言葉で表現するのがいかに難しいかについて言及している。頭に浮かんだ素晴らしい着想や洞察を、言葉に記した途端に陳腐で残念な表現になってしまうことを嘆いているのだ。

「私は途中でこの洞察を得て、すぐに飛び去らないように、とりあえず最も手近な貧弱な言葉をすぐにつかんでそれを記録しました。そして今、これらの乾燥した言葉は揺れて羽ばたき、死にました。なぜなら、これらの言葉を見た時にはもう、私がこの洞察を得た時の幸せを感じることはないからです」(ニーチェ)

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 目の前に広がる光景を正確に言葉で説明しようとするならば、当然だがその光景を細かいところまでよく観察して把握しなければならない。

 しかしこれが光景ではなく、今自分の中に浮かんでいる考えや、いま胸にこみ上げてきている感情だった場合はどうすればよいのだろうか。当然ながらそのアイデアや感情をまずよく理解することが求められてくるのだが、これは光景とは違って直接観察できるものではない。

「~のような」や「~に似ている」などの表現方法で曖昧に説明することはできるかもしれないが、正確かつ明瞭に説明するにはすなわち、アイデアや感情を正確かつ明確に理解しなければならない。しかし直接観察できないものをどうやって正確に理解できるのだろうか。

 フランスの哲学者、ジャン・ポール・サルトルはこの現象を著書『存在と無』の中で「明瞭性のパラドックス」と呼んでいる。

 明瞭性のパラドックスはソクラテスにまでさかのぼる問題で、「探求する対象を知らなければ、そもそも探求できない。しかしその対象を知っていれば探求する必要がない」というパラドックスにも通じている。

 ではどうすればこのパラドックスを抜け出し、考えを明瞭に言葉で表現できるのか。デジタルマガジン「Aeon」の記事で米・テンプル大学の哲学者、イーライ・アルシャネツキー氏が解説している。

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