【春日武彦×末井昭の連載/猫と母】精神科医が語る「私が子どもを作らなかった理由」と「猫の舌」について


【連載】猫コンプレックス 母コンプレックス――異色の精神科医・春日武彦と伝説の編集者・末井昭が往復書簡で語る「母と猫」についての話
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<第4回 春日武彦→末井昭>

■■■■■猫の舌■■■■■

末井昭さま

 膝の痛みの件、分かっていただけて嬉しいです。末井さんもおそらく変形性膝関節症だと思うのですが、あの感覚は独特ですよね。膝であるにもかかわらず虫歯の痛みに近いものがあって、おまけに患部の周囲には低電圧で感電しているみたいな不快感があり、比較的調子が良い日でも鈍痛が持続している。膝を曲げるときに痛みが倍増するので、本棚でいちばん下の段の本を取ろうとするのに難儀するし、もちろん下り階段がキツい。正座が必須の僧侶なんかを職業にしていたら、どうなっていたんでしょう。

 若い頃は、膝痛どころか頭痛になったこともありませんでした。40歳くらいになって、はじめて「ああ、これが頭痛ってものか」と納得し、そのときにはやっとこれで自分も人並みになれたような感慨を抱いたものでした(同じ気分は、童貞を失ったときにも感じました)。しかし膝の痛みについては、老化を思い知らされたようで項垂れたくなります。

 関節にヒアルロン酸を注射してもらっても効かないし、ロキソニンやボルタレン程度の鎮痛剤ではまったく効果がない。整形外科のドクターは、わたしが「残念ながら、痛いままです」と告げても淡々と注射をして「じゃ、また来週ね」と、一切動じないのが凄いです。精神科の場合も、いつまで経っても改善しないケースはいくらでもありますが(それどころか、現状維持しているだけでも大勝利、といったケースも珍しくないのですが)、わたしは結構気まずそうな表情を浮かべてしまいます。謝ってしまうことすらある。動じないほうが医師として頼り甲斐があるという意見もあれば、気まずい顔を見せて人間味を出したほうがよろしいという意見もあり、なかなか難しいところではあります。

 ある日いきなり膝の痛みが生じたわけですから、同じように突然痛みが消え失せてもいいのではないかと思いたくなります。そんなことをうじうじと考えているうちに、昔読んだ短篇小説を思い出しました。拘置所の教務課に在籍して死刑囚に俳句を教えている職員と、遂に死刑執行が決まった囚人との交流が描かれている重苦しい作品なのですが、囚人は敬愛するその職員の身体に抱きつかせてくれとせがみます。それを許可されると死刑囚は、「ありがとうございます、先生のお体にひそむ病をすべて背負って行きます」と口にするのです。そして死刑は粛々と執行され、職員は虚脱したような気分になるといった話でした。

 死刑執行を目前にした囚人が「先生のお体にひそむ病をすべて背負って行きます」といった台詞を吐くのが、わたしには衝撃的でした。お世話になりましたとか、あの世でも決して恩は忘れません、などと言うことはできても、「先生のお体にひそむ病をすべて背負って行きます」なんて気の利いたことを言えるものなのか。いや、死を前にするとこのような特異な言い回しが出てきてもおかしくないのではないか、などといくぶん困惑に近い気分を覚えたりもしたのでした。

 もしわたしが、この小説にあるように拘置所の職員でしかも変形性膝関節症を患っていたとします。死刑執行の時刻と同時に、不意に膝の痛みが(嘘のように)消え失せたらどうでしょうか。それは「あの死刑囚」が病を背負って行ってくれた証拠なのか、それとも偶然の一致なのか。そんな経験をしたらわたしは神秘主義者になってしまうのではないか、いやたんにホラーと感じてしまうのではないか、あるいは何らかの宗教に走ってしまうのではないか、などと想像してしまったのでした。シリアスな話の筈なのに、どうもオレはどこか茶化したようなトーンを立ち上がらせてしまうなあ、と反省したくなります。

 

 偶然の一致、ということについて書いてみます。

 わたしには世界観として「この世の中は相似と反復から成り立っている」といった思いがあります。これは精神科医という生業と関係しているのかもしれませんが、あらゆる事象はそれに似たもの、大同小異なものが既に存在し、しばしばそれが繰り返し(ただし表面的には別な姿をまとって)出現する。そんなふうに捉えています。言い換えますと、この世界は記憶と呪い(ないしは業)でできている、ということになりましょうか。だから精神科医は、患者が何らかの過去に囚われ無意識のうちに不幸な選択をしてしまうその傾向に注目し分析をしようとする。実際、そうしたアプローチは説得力を持ち、精神症状の改善に役に立ちます。

 という次第で、一致している、そっくり、何だか似ている、なぜか懐かしい、見覚えがあるような変な気分、どうも心に引っ掛かる、と感じてもおかしくないような事象はしょっちゅうわたしたちの周囲に起きている。ただしそれをなぜそのときに限って明確に感じ、特別な出来事と思うのか。そこのところに偶然の一致の意味合いが隠されているのではないでしょうか。

 わたしはギャンブルにはまったく興味がなく、それというのも「たかが」ギャンブルのために自分の幸運を浪費するようなことはしたくないというケチな考えがあるからです。その考えは、人が持っている幸運には一定の量が予め決まっているといった発想に近いのかもしれません。ギャンブラーの人たちの多くはその発想には与せず、むしろ幸運は波であり、それに上手く乗っかれば幸運に上限はないといった考えをしているような気がします。まあそれはともかく、もしかするとギャンブラーにおいては「勝ちのパターン」といったものの再現を重視する傾向があって、それゆえに彼らは偶然の一致的なことにも敏感なのかもしれないなどと考えます。

 それはともかく、末井さんが膝の痛さについて偶然の一致を感じられたのは、わたしに関心を持っていただけているからこそと勝手に解釈して胸を熱くしています。

 猫はこの世の中が「相似と反復から成り立っている」のを最初から知っているのではないか。だから超然としていたり、呆れるばかりに気まぐれだったり、飽きっぽいのか執拗なのか分からない態度を示したり、人間の行動を小馬鹿にしているのではないだろうか。買いかぶりではありますが、ついそんなことを信じたくなる。そこが猫の魅力の一因だと思わずにはいられません。猫にとっては偶然なんて、せいぜい月の満ち欠け程度の珍奇さでしかないような気がします。

何、それ!?(撮影:春日日登美)

 不妊治療をされたことがあるんですねえ。わたしのほうは絶対に子どもを持ちたくなかったので、結婚前にその旨を日登美さん(暴走族みたいな名前ですが、彼女の親が役所に瞳の一文字で申請したら、その漢字は使えないから別の表記にしろと言われたからだそうです)に告げて一応了解を取りました。「一応」というのは、流れとして「子ども不可なら、結婚は辞めます」とは、もはや彼女には言えない雰囲気になっていたからです。あたかもフェアを装って、一方的に子どもは作らないと結婚前にゴリ押ししてしまったことには少々後ろめたさがつきまといます。もっとも、彼女が子どもを作らない点で譲歩をしてくれなかったら、たぶん結婚はしなかったと思う。それ位シリアスなファクターであったのです。

 結婚後、もともと強迫的なところがあるので、パイプカットをして完璧を期そうと考えたことがありました。雑誌に広告を載せていたクリニックへ電話をしてみたら、配偶者の承諾書とかそういったややこしいものは一切不要で、即手術をしてくれるとのこと。そっと行って済ませてしまおうと思ったのですが、さすがに気がとがめる。日登美さんにパイプカットを受けようと思うと告げたら、それは止めてほしいと言われました。可能性としての子作りがゼロになるのは感情的に嫌だったのでしょう。うん、分かったと中止して、それ以上はお互いに何も言いませんでした。

 なぜ子どもを持つのをわたしは拒んだのか。相似と反復、あるいは連鎖というものが嫌だったからです。当方の欠点や問題点、欠落した部分などをすべて修正改良し、さらに日登美さんの素敵な部分を首尾良く取り込み、男であったらイケメンで頭が良くてもちろん性格も良く、いろいろな才能を持ち健康でしかも幸運の持ち主――そんな息子ならいいかなとは思うものの、そうしたらわたしは息子に嫉妬しかねない。親が子に嫉妬をするなんてあり得るのだろうかと疑問に思ったりもしますが、心の狭い当方においては十分に「あり得る」。しかも、そんな素晴らしい息子だったら、もはやわたしの子どもの範疇を突き抜けてしまっているのではないのか。赤の他人になってしまう。

 現実においては、おそらくわたしのマズイ部分をあれこれ受け継ぎ、それは親であるわたし自身のカリカチュアのように映るのではないだろうか。自己嫌悪の素材が独立して歩き回っているようなもので、げんなりしそうです。いや、実際に子どもを持ってみればそんなふうにはならない、どんな子どもであっても可愛いもんだよ、なんて助言してくれる人もいますが、絶対そうだという保証なんかどこにもない。どうなるかは分からないけど、とりあえず子どもをつくってみる、なんて無鉄砲なことをする気には到底なれません。子どもに対しても失礼だ。やっぱりこんな子どもはいりません、などと引き返すことはできないのに、どうして躊躇しない人が多数派なのか不思議です。

 精神科領域には、魔術的思考という言葉があります。あたかも論理的なようでいても実際には迷信やマジナイと大差のない考え方で、人は往々にしてそのような思考に司られた振る舞いをして心の平衡を保とうとします。わたしにおいては、「ためらったら、もうそれだけで失敗を呼び込んでしまう」といったわけの分からない確信があり、そうなりますともはや子どもを持つことは絶対にマズイといった話になる。魔術的思考は心の襞の隅々にまでフィットしておりますから、それに逆らうにはよほどの確証が必要です。でも、もちろんそんなものは、ありはしないのです。

 子育てもまったく自信がありません。わたしは自分の人生観を子に押しつける気持ちはないけれども、あんまり無軌道になられても困ってしまう。さまざまな場面で、親としてどう判断しどう接するかを求められそうですが、当方としては打てば響くように判断したり態度を決める――そういったことが苦手なんです。できれば二、三日の猶予をもらってゆっくりと考えを巡らせ、ときには散歩をしたり風呂に入ったり推理小説を読んだり、そういった行動も含めてじっくり時間を置いてから結論を出すのでないと上手く頭が働かないのですね。即断即決は馴染みません。だがそれでは納得のいく子育てができない。

 自分の子どもが万引きで捕まったとしたら、どんな態度を取り何を言ったらいいのかわたしにはすぐに思いつきません。息子だか娘が小学校五年生の時点でスマホを欲しがったときにどうすべきなのか、見当もつきません。我が子がイジメの加害者だったことが判明したとしたら、どのような言葉を発するのが賢明なのでしょう。進学なんかせずに、アルバイトをしながら漫才師を目指す! なんて子どもが主張したら、どう応じるべきなのかさっぱり分かりません。分からないどころか、そんな場面を想像しただけで動悸がしてきます(漫才師がいけないということではなくて、あまりにも自分の想像が及ばない領域だからうろたえてしまうのです)。自分の人生すらまともに律することができないのに、子どもという変数が入り込んだらもはや破綻しかなさそうに思えてしまいます。

 咄嗟の判断や対応が苦手な人間に精神科医が勤まるのかという疑問が生じるかもしれませんが、これについてはおおよそのパターンはある程度シミュレーションしてあるし、自分なりの考えを吟味しているのでそこはあまり迷いません。でも子どもについてはあまりにも未知数が多すぎます。しかも客観的になれそうもない。だから怖いのです。

 まあ猫を飼うのだって、それはつまりその猫の幸せを願いつつ一生面倒を見るという決意が前提になっているわけです。〈ねごと〉君についても、先代の〈なると〉君についてもその点は腹を括っている(いた)つもりですが、子どもについてはねえ……。わたしにとっては、どうにか責任を持てる限界が猫という次第です。

〈ねごと〉、テレビの猫を見詰める。(撮影:春日日登美)

 ところでわたしの両親は、どちらも子ども嫌いで通っていたようです。実際、両親と親交のあった人からもそう聞いています。そうなりますと、いかなる風の吹き回しで両親はわたしを作ることになったのでしょう。たんに避妊に失敗しただけの気もしますが、ちゃんと訊ねておけばよかったという気がします。もちろん真実を語ってくれるとは限りませんが。

 可能性としていちばん高いのは、ただの気の迷いでしょう。魔が差したというべきか。そして子どもが生まれたら、あとはもう引き返すわけにはいかない。母親の養育態度には一貫性が欠けていたとしか思えないのですが、そのあたりも彼女の迷いが延々と引きずられていたからではあるまいか。いろいろな点でわたしは彼女の期待に応えられず(そのあたりは、追々語っていくつもりです)、今さら引き返せない彼女に母であることを正当化する理由をプレゼントできなかった。そんな自分が今なお承認要求を胸に秘めたまま生きているわけですから、わたしが子どもなんか持ったら事態はますますややこしくなる。一人っ子である当方において鬱屈の連鎖を断ち切ったほうが清々するように思えるのです。そういえば我が家の猫は不妊手術をしてあるので、もはや一家(人間+猫)揃ってデッドエンドです。

 末井さんの話を受けて、夫婦喧嘩のことを述べてみます。

 まず、両親のほうですが、確かに喧嘩をよくしていましたが、考えてみればあれは喧嘩というよりも母がひたすら父を非難したり詰問していたのでした。だから父はいつもおろおろしたり分が悪く、母は常に怒り狂っているのでした。なぜそんな構図になってしまうのか。

 たぶん母は、ものすごくセックスのつまらない人だったのではないでしょうか。正常位で義務的にさっさと済ませてしまうみたいな。快楽を追求し、もはやアブノーマルの領域に踏み込み、めくるめくエロの渦に飛び込んでいくといった発想は微塵もなかった。いや、そういったありようを下賤で俗悪で唾棄すべきものと捉えていたのではないか。そのくせルックスは(わたしが言うのも気恥ずかしいのですが)美人であった。李香蘭というか山口淑子のタイプですね。

 いっぽう父は、女性の乳房のあいだに顔を埋めて屈託を追い払いたがるようなところがあったような気がします(あくまで想像ですが)。だから父としては、べつに不貞とか浮気といった文脈ではなくて、生き延びるための「息継ぎ」を求めていろいろな女性と関係を持ちたがったのではないか。でもそんな事情を、説得力を備えて説明するのは到底無理ですよね。だから両親には、決定的に折り合わないところがあった。

 大学生の頃に、母と仲の良かった女医さんを訪ねてそっと質問してみたことがあります。もしかしたら母は同性愛の傾向が強かったのではなかったか、さもなければ浮気をしていたことはあったのか、と。女医さんは、すごく面白そうな表情を浮かべながらどちらの可能性も否定しました。べつにそれでほっとしたわけではないのですが、そんなろくでもない質問にきちんと答えてくれ、あなたもあのお母さんの息子という立場じゃ大変よねえといった意味の言葉を掛けてもらったのは、すごく救いになりましたね。酸いも甘いも噛み分けた、なんて表現がありますが、そんな雰囲気でさりげない言葉を発してくれる人がいちばん頼りになります。たとえば自殺しようとしている人に対してもっとも支えになるのは、あの女医さんみたいな存在の気がします。精神科医でなかったのが勿体ない。

 母は幼かったわたしにもしばしば激しく怒ったのですが、かなりの確率でいったい何を怒っているのかよく分かりませんでした。なぜ怒っているのかそこから丁寧に説明してくれ、なんて子どもには手際よく言えませんから、当惑と恐怖とが混ざり合った体験になってしまう。優しい母がなぜあんなふうに豹変するのかが分からないのです。わたしは甲殻類恐怖症で、蟹にせよ海老にせよとにかく顔なのだか顔でないのか判然としない「顔周辺」のたたずまいがひたすら恐い。目にはまったく表情がないし、口のあたりは構造が理解できないし、鼻はあるのかないのか。まったくコミュニケーションが成立しないまま残忍な攻撃性を剥き出しにしているような印象が甲殻類にはある。怒っている母と甲殻類の顔周辺とはどこか共通点がある。比較的最近そのことに気が付き、ますます甲殻類をおぞましく思うようになりました。

 話が脱線しつつありますけれど、両親においては夫婦喧嘩に相当するものはなかったように思えるのです。ただし怒りとコミュニケーション不全は存在していた。

 日登美さんとはもちろん喧嘩をしますが、まあ「ありがち」な夫婦喧嘩でしかありません。わたしはムカつくと押し黙ってしまいます。何日にも渡って口を利かない。それって単純に不便ですから、いつの間にか妥協して言葉を交わすことになる。やがて平常運転に戻る、といった形ですね。猫を仲立ちにして縒りを戻す、ってスタイルはないです。もっとも、前回わたしは〈ねごと〉君に恩着せがましいことをくどくど言っては暗い喜びに浸っていると申しましたが、妻への不満や悪口を、妻がいないときにあれこれ語ることはあります。猫が酸いも甘いも噛み分けているとは思えませんが、その存在自体が超然としているわけですから癒される。母と仲の良かった女医さんは亡くなってしまったが、猫は猫なりに何らかの救いをもたらしてくれるようです。

 先代の猫の死にまつわる話もしたいのですけれど、こちらは長くなりそうなので次回に延期します。じゃあ何を書こうか。

 ときおり〈ねごと〉君はわたしの手だの足を熱心に舐めてくれることがあります。さっきも、膝がずきずきするので床にうつ伏せになってじっとしていたら、いつの間にか近寄ってきて足首を舐めている。どう考えてもこれは愛情表現だなと思うものの(いや、行き倒れた人間に同情しているのに近いかも)、では当方としてはどのようにその愛に応えればいいのかが分かりません。もどかしい。体をねじって腕を伸ばし、頭を撫でようとしたらそれは嫌がる。ざらざらの舌はくすぐったいようなサディスティックなような変な感触で、わたしの肉体を食べる予行演習のようにも感じられるけれど、まさかねえ。母の期待に応えられず、猫の愛にも応えられず、身悶えしたくなるような人生です。

コップの中身は、いつも気になる。(撮影:春日日登美)

 猫の舌を観察すると、意外なほど薄い。紙のように、しゃぶしゃぶ用の肉みたいに薄い。その薄さを眺めていると、猫の繊細さがそのまま表現されているように思えてきます。いや、むしろ儚さを感じさせる。そのくせ表面は凶暴な位にざらざらで、何だか矛盾している。とはいうものの結局のところわたしは猫の舌の薄さを目にするたびに切なさを覚えてしまうのです。ああ、こんな薄い舌で生きているのか、と。

 ベルギーのデメルのチョコレートで「猫の舌」というのがあるじゃないですか。あれは猫の舌の形を模していて、結構厚さはある。あれ位の厚みが本物の猫の舌にもあれば合点がいくのですけど。

 先代の猫〈なると〉君が死んだときは、マンション住まいなので庭に埋めることができません。深大寺まで遺体を運んで火葬にしてもらいましたが、待っている間に思い浮かんだのは、「あの薄い舌も煙になって消えてしまうんだなあ」という感慨でした。なぜ舌のことだけが気になったのか。それこそわたしにとっては薄い舌が切なさそのものとしてインプットされていたからでしょう。わたしも亡くなった猫を木の根元に埋めることができたら、冬に向かうある日、枝にしがみついている一枚の木の葉から不意に猫の舌を連想してしんみりした気持ちになったかもしれません。

文=春日武彦

春日武彦(カスガ・タケヒコ) 1951年京都府生まれ。一人っ子。喘息持ち。甲殻類恐怖症。日本医科大学卒。産婦人科医として6年勤務するも、障害児を産んだ母親のフォローを契機に精神科医に
転向。都立精神保健福祉センター、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長、多摩中央病院院長などを経て、現在も臨床に携わるいっぽう、講演や研修講師なども数多く勤める。著書には、『不幸になりたがる人たち』(文春新書)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『老いへの不安』(中公文庫)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』(太田出版)、『私家版精神医学事典』(河出書房新社)、『猫と偶然』(作品社)、『援助者必携・はじめての精神科(第3版)』(医学書院)等多数。

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