8歳年下の男と「ダイナマイト心中」した母の写真を探して… 末井昭が語る「猫コンプレックス母コンプレックス」

 2019年の3月に画家の弓指寛治さんが、母親のダイナマイト心中をテーマにたくさん絵を描いて、「ダイナマイト・トラベラー」という個展を開催しました。その時に、母親が梅の枝を生けている写真を元に、「梅の花」という絵を描いてくださいました。もう1枚の写真は、着物姿で病室の椅子に座って笑っている写真です。

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写真を元に弓指寛治さんが母親を描いた「梅の花」。蕾が絵では咲いている

 実はもう1枚、母親の写真を持っていたのですが、無くしてしまいました。

 その写真も結核病棟で撮ったもので、母親は小さな人形を抱いてベッドに座っていました。他の2枚の写真に比べると顔が痩せていて、そのぶん目が大きく見えます。笑顔ですがどこか憂いがあるような写真で、肺結核が重くなった頃に撮られたのではないかと思います。ぼくが持っている写真の中では母親が一番綺麗に見えるので、みんなに見せていたらいつの間にか無くなっていました。

 いい年をして、母親の写真を人に見せ回るなんて気持ち悪いと思いますが、なぜそんなことをしていたかと言うと、ぼくに顔コンプレックスがあったからです。

 春日さんは、お母様の息子である以上、それに相応しい器量でなければならないというドグマがあったと書かれていますが、ぼくの場合は、そんなにひどいブスの家系ではないということを人に知ってもらうことによって、自分の顔コンプレックスを少しでも解消しようという意識が働いていたように思います。

 ぼくの顔コンプレックスは、顔の造作のこともありますが、子どもの頃のおできの跡やニキビの跡がひどくて、人に気持ち悪がられているのではないかという恐怖心からきています。つまり後天的なことが原因なので、母親にさほど責任はないのです。

 大事な写真だったので一生懸命探したのですが、出てきません。母親は「自分のどうでもいいコンプレックスのために、私の写真を利用しないで!」と怒って、写真を隠してしまったのかもしれません。そう思うと、あの写真は無くなったのが正解だったのかもしれません。

 この往復書簡を書くようになって、ぼくが持っている母親の写真を、いったい誰が撮ったのかということを考えるようになりました。昭和27~28年頃のことなので、特に田舎ではカメラを持っている人も少なく、写真もそんなに撮られていた訳ではありません。それなのに、誰が撮ったのかは聞いたことがないのです。

 父親は母親のいる結核病棟へ面会に行っていたはずですが、父親が撮ったということはまずないと思います。父親がカメラを持っていた記憶はないし、カメラを買うお金なんかなかっただろうし、父親に写真を撮られた記憶もありません。

 当時は、肺結核は新型コロナウイルスのように、近寄るだけでうつると考えられていたので、親戚の人が見舞いに行くこともなかったと思います。唯一考えられるのは零次さんです。

 ぼくは、零次さんと母親が仲良くなったのは、母親が退院してからのことだと思っていました。肺結核になると微熱が続くそうで、そのため性欲が増すということを聞いたことがあります。父親は鉱山に勤めていて、トロッコで腰を強く打ってEDになっていたようです(のちに治って、手が付けられないようになるのですが)。そういう状態のとき、零次さんがふらっとやって来たのではないかと想像していたのです。

 零次さんは農業をする傍ら、現金収入になる炭焼きをしていました。炭焼きをしているというと、純朴で真面目な人というというイメージがあるかもしれませんが、零次さんは村の人から「遊び人」のように見られていたので、村に馴染めないところがあったと思います。岡山市内のいかがわしい場所にも、時々行っていると噂されていました。

 炭焼きは、山の中に作った窯に木材を詰め込み、火を入れて密封してから、木材が炭化するまで2日ほど放置します。その間は何もすることがないので、時間は自由です。母親は家にいることが多かったので、零次さんが暇つぶしに来ることがあったかもしれません。父親は働きに行っていて、ぼくは小学校に行っていて、弟が家にいましたが、まだ赤ん坊だったので寝かせておいて、母親が「上がって休んで行ったら?」と言って、零次さんは「それじゃあ上がらせてもらおう」とか言って、そのうち抜き差しならない関係になって……といった情景を想像していたのですが、ひょっとしたら零次さんとの関係は、母親が結核病棟に入院する前から続いていたのではないかと思うようになったのです。

 母親が結核病棟にいた頃は結核の特効薬もなく(1953年にストレプトマイシンが使用され始めたそうですが)、結核病棟に入院するということは、隔離するということもあったと思います。何もすることなく一日が過ぎて行くのは、若い母親にとって退屈なことだったと思います。零次さんが来てくれることを心待ちにしていたかもしれません。

 病院は和気町という町の外れにあるので、父親や村の人に知られることもなく会うことができます。零次さんは岡山に遊びに行った時にカメラを買い、母親を訪ねた時に写真を撮っていたのかもしれません。それを町の写真館でプリントして、母親に渡していたのではないでしょうか。写真が好きな母親は、それがどれだけ嬉しかったことでしょうか。

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平病院結核病棟で撮った母の写真(昭和28年頃)

 そんな時が零次さんと母親にあったとすれば、2人のダイナマイト心中が、それほど悲惨なこととは思えなくなります。零次さんは8つも年下ということもあって、どうせ助からない母親の道連れにされたという噂が、村人の間でひそひそと話されていました。そんな村人にあかんべーをするように、村人から差別された者同士が、永遠に一緒だよと抱き合ってダイナマイトに火を付けたとしたら、ぼくは2人を祝福したい気持ちになるのです。

文=末井昭

1948年、岡山県生まれ。デザイン会社やキャバレーの看板描きなどを経て編集者となり、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『NEW SELF』『ウィークエンドスーパー』『写真時代』『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を次々と創刊する。白夜書房取締役編集局長を経て、2012年に白夜書房を退社。現在はフリーで執筆活動などを行なう。著書に、『素敵なダイナマイトスキャンダル』(ちくま文庫)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『自殺』(朝日出版社)、『結婚』(平凡社)、『末井昭のダイナマイト人生相談』(亜紀書房)、『生きる』(太田出版)、『自殺会議』(朝日出版社)などがある。2014年、『自殺』で第30回講談社エッセイ賞を受賞。2018年、『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化(監督・冨永昌敬/配給・東京テアトル)。
Twitter:@sueiakira

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