「個人の良心は社会を変えない」ハンナ・アーレントによるソローの市民的不服従批判とは? 令和のアクティビスト必読!
■個人の良心は社会を変えない
多くの支持を集めたソローの理論だが、アーレントはこの理論が誤った方向に進んだと主張している。特にアーレントは市民的不服従を個人の良心に基づかせるのは間違っていると主張したのだ。
アーレントは良心が政治的行動を正当化するにはあまりにも主観的なカテゴリーであると指摘する。アメリカの入国管理官による難民の扱いに抗議する左派の活動は良心に突き動かされているが、2015年に同性カップルへの結婚許可証を拒否したケンタッキー州の保守的な郡書記官であるキム・デイビスが「結婚許可証」の発行を拒否したのもまた良心によるものであった。良心だけであらゆる種類の政治的信念を正当化してみても、道徳的行動を保証するものではない。
第二に、アーレントは、道徳的に非の打ちどころのないものであっても、良心は「非政治的」であるという。つまり良心は我々の社会に真の変革をもたらすかもしれない集団的行動ではなく、我々個人の道徳的純粋さに焦点を合わせることを促すものである。
アーレントは良心を「非政治的」であるからといって役に立たないとは言っていない。良心は不正を防ぐことができるが、彼女はそれを一種の道徳的な最低限のものと見なしていた。言い換えれば個人の良心は、悪に加担するのを妨ぐ役目を果たすことがあるが、正義をもたらすために積極的な政治的行動をとることを要求するものではないというのだ。
ソローは世界を積極的に改善するのは個人の責任であるとは信じていなかったとアーレントは指摘している。したがってマハトマ・ガンジーが市民的不服従を独立運動の理論的裏付けにしたのは、ソローの意図からはかなりずれたものであり、ソローと市民的不服従が“誤解”されて世に広まったというのである。
ソローとアーレントの考え方の最も顕著な違いは、ソローが不服従を必然的に個人の問題として見ている一方で、アーレントは定義上、それを集団の問題として見ていることだ。
アーレントは、市民的不服従として認められるためには法律を破る行為が、公然と行われなければならないと主張する(簡単に言えば私的に法を破るのは単なる犯罪だが、抗議行動で法を破れば“主張”していることになる)。
いわばソローは個人の良心的兵役拒否者であるが、アーレントはもしそう思うなら集団で不服従を行わない限りは社会に変化をもたらすことはできないと説明する。大規模な市民的不服従運動は勢いを生み出し、圧力をかけ、政治的言説をシフトさせ得るのである。
個人の徳を高め、魂を“浄化”することに主眼を置いていたソローだが、アーレントは自分の良心ではなく、犯した不正とそれを是正する具体的な手段に焦点を当て、世界を変える力を持っているものに向けて働きかけるべきだと説く。
ソローの市民的不服従が“誤解”されて広まったことで皮肉にもインド独立運動などの社会運動や市民運動のスローガンになったことなる。ウォールデンの森で静かに暮らすことを好んだソローはこの“誤解”をあの世でどう感じているのかと思うと興味深い。
参考:「Big Think」、ほか
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