「人の期待を裏切るということ」精神科医・春日武彦 ― 容姿が母の期待を裏切っていると気付き始めて

 べたべたと暑苦しい愛は、古い油で揚げたトンカツの味に似ています。ではわたしが母に求めていた愛はどのようなものなのか。カラフルで気取ったマカロンみたいなものか。

肉球を舐める(撮影:春日日登美)

 うーん、マカロンとは違うけれど、求めている愛はハッキリしています。普段は薄口の愛でいい。しかしわたしが苦境に陥ったり困り果てているときには、当方が切々と語るその悩みにじっくりと耳を傾けながら「あら、あら(笑)そんなことで悩んでいたの」と、まるで猫が床に吐いたゲロを雑巾で拭き取るような調子で軽く受け入れて欲しい。それだけなのです。彼女の「あら、あら(笑)」というリアクションに出会った途端、ああ自分は取り越し苦労をしていたんだ、馬鹿げた錯覚に振り回されていたんだ、ペシミズムの罠に嵌っていたんだと気付き、一気に世界が親しみと安心感を取り戻す。救いが訪れる。マウスパッドを交換したどころの話ではありません。そんなシーンこそが、母に求める愛なのです。

 ところで、こんな記憶はどうでしょうか。まだ小学校に上がる前(わたしは喘息持ちだったこともあり、幼稚園にも保育園にも通っていませんでした)、所沢の家に住んでいたときの出来事です。
縁側の前には結構広い芝生の庭が広がっていました。緑色の平面の向こうには灰色のコンクリート塀が立ち上がり、その向こうは斉藤耳鼻科の屋敷でした。まだ新築の二階建てで、反対側に耳鼻科外来の入り口があります。結構な金持ちのようで、二階には慶応の医学生である息子の部屋がありました。ときどき遊んで貰いましたが、外国切手のコレクションを見せてもらうのがいちばんの楽しかった思い出です。斉藤夫人はいつも着物姿でやや肥満気味の色っぽい人でした。住み込みの女中さんもいて、今にして思えばこちらもエロい感じの若い女の子でした。斉藤院長は、白衣に額帯鏡の姿をちらりと見たことしかありません。

 わたしは母と並んで縁側に坐り、ぼんやりと芝生や塀、斉藤耳鼻科の家の裏側などを眺めていました。喘息の発作が去ったあとには虚脱感とともに目に映るものがどれもこれも色鮮やかに感じられるのが常でしたが、そんなときには無言のまま母と縁側に坐っていたことが多かったようです。だからあのときも、おそらく発作が終わった後だったのでしょう。感覚的には、仮死状態から蘇ったようなものでしょうか。

 コンクリート塀には小さな木製の木戸が取り付けてありました。それを使ったことなんて一度もなかったけれど、一種の非常口みたいなものだったのでしょうか。いずれにせよ、その薄汚れた扉は常に閉ざされていた。

 空は晴れ(たぶん秋だったと思います。喘息持ちには、かなりの高確率で秋の晴天が発作の誘因になるのです)、昼過ぎでした。戸惑うくらいにひんやりとした風がときおり吹いてくる。いきなりコンクリート塀の木戸が開きました。それだけでも驚きなのに、木戸からは背の低い男がぬっと姿を現しました。全身を黒っぽい服装で包み、不潔そうでみすぼらしい男でした。顔はわざと塀に向け、わたしたちの目に入らないようにしています。荷物は背負っていない。ハンチングも被っていない。でも、一目見ただけで泥棒と分かりました。だって、彼の外見も振る舞いも唐突さもそれ以外に考えられない。こそこそと、背中を丸めつま先立ちをするような姿勢で塀に沿って移動して行く。たちまち視界から消え失せ、おそらく我が家の門から通りへ逃げ去ったのでしょう。

 まるで舞台の上で泥棒をテーマにしたコントが演じられているみたいでした。あの小男が口の周囲に黒い無精髭を生やし、頬被りに地下足袋、さらに唐草模様の風呂敷包みを背負っていたら、もう完全にステレオタイプな泥棒の風体です。わたしと母は顔を見合わせたまましばらく硬直していました。本来ならば、不安や恐怖が生じてもおかしくないシチュエーションでした。強盗と化してこちらを襲ってくる可能性だってあった筈です。しかしあの泥棒は、それこそ滑稽さと底知れぬ得体の知れなさとでわたしたち親子を当惑させました。そもそも泥棒は夜に登場するのではないのか。空き巣ならば、留守宅へ入ろうとするのではないのか。おそらく斉藤耳鼻科の居住エリアに忍び込み、しかし何も獲物を得ないまま木戸から逃走しようとしたのでしょう。母と幼い息子が、縁側で待ち構えていたように座っていたのには肝を潰したに違いありません。

 あとで母が斉藤家へ赴き(当時はまだ電話なんて普通の家にはありませんでした)、やはりあの黒づくめの男は泥棒だったらしいとの結論に達しました(被害はありませんでした)。交番から巡査が来て、我が家の門の内側に足跡を発見しましたが、石膏で型取りをするとか写真を撮るとか、そういったことは行いませんでした。足跡はそのまま放置され、一週間以上禍々しい雰囲気を発散し続け、最後には雨によって消え去りました。

 まあそれだけのエピソードなのですが、わたしは自分と母との関係について考えるとこの出来事が必ず思い出されてくるのです。あの泥棒は、いわば悪や卑しさそのものでした。それが目の前をこそこそと横切って行った。あんなに分かりやすい悪や卑しさなんて、実はそう滅多にあるものではない。大概は巧妙に押し隠されていたり偽装されているものです。しかし絵に描いたような悪人を、よりにもよって晴れた真っ昼間に、わたしは母と一緒にじっくりと目撃してしまったのです。その体験はわたしと母との結束を強めたに違いない。と同時に、二人が目にした光景には滑稽さが伴っていました。馬鹿馬鹿しさがありました。何しろマンガそっくりな泥棒なんですから。この可笑しさによって、気味が悪いと同時にそれを俯瞰的に眺めることもできたのでした。おかげでトラウマ案件にもならずに済みました。母に拘泥しつつも、わたしが彼女にすっかり呑み込まれることなく現在にまで至ることができたのは、おそらくあのときにユーモアの効能みたいなものに気付き得たからではないのか。滑稽なトーンを見出すことが可能なら、そこには逃げ道もまた示されているような気がするのです。

 ひょっとしたら、末井さんがお母様の心中についてどこか飄々とした調子で語られるのにも、似たような作用が働いているのかもしれない、などと考えてしまいます。

 中学の三年間、トップの成績をキープしていた末井さんが、廊下に「覚せい剤をやめましょう!!」なんてポスターの貼ってある高校に進学して担任の先生を落胆させた話には思わず笑ってしまいました。でも同時に、身悶えしたくなるような苦しい感情にも囚われてしまったのです。

 わたし自身にとって辛いことをリストアップしていったら、必ずや上位に入るであろうものに「期待を裏切る」という項目があります。誰もお前なんかに期待してねーよ、とツッコミを入れられそうな気もしますが、まず医者という仕事の性質上、患者や家族から期待されるものはすこぶる大きい。しかも精神科で扱う病は、抗生物質の注射で治りました的な単純明快なケースは少ない。治すというよりは、症状を軽くさせつつも結局はいかに世間と人生との折り合いをつけるかについて話し合っていくみたいな、まことに軟弱なアプローチしかできないほうが多いのですね。刃の鈍った菜切り包丁で刺身をこしらえるようなもどかしさで、脱力しそうになります。

 本を書いて出版するのも、編集者をはじめとしてさまざまな人間がプロジェクトに関わっています。それなのに、売れないどころか世間から黙殺されるなんてことが重なると気まずさで転げ回りたくなります。そして母に対しては、容貌が不細工という点で圧倒的に期待を裏切っている。そりゃあさすがに母は「お前の不細工さにはうんざりだよ」なんて言ったりはしません。けれども、落胆は伝わってきます。しかもわたしには挽回のしようがない。顔はまずいが手先が器用だからプラスマイナス・ゼロだよ、とかそういった話にはならない。何をどう頑張っても、母に対しては「江戸の仇を長崎で討つ」みたいな見当外れのことをしている気分になって項垂れたくなってしまう。

謎の物体と遭遇(撮影:春日日登美)

 小学校三年のときに、漫画雑誌に「若秩父物語」という読み切りが載っていました。昔は、教育的意味合いなのか有名人の半生を描いたナントカ物語というのが子ども向きの雑誌には散見された印象があります。さて若秩父は花籠部屋の力士で(力士としての活動期間は1954~1968、番付最高位は関脇)、塩をやたらと派手に撒くパフォーマンスで有名でした。末井さんは覚えていらっしゃると思います。人気はあったけれど、実力がどうも安定せず、横綱の器からは程遠かった印象があります。

 1960年五月場所は、西前頭14枚目であった若秩父が優勝に手が届きそうになった場所でした。そのあたりを見越して、リアルタイムに近い形で漫画は描かれたようでした。少年時代のエピソードや入門のきっかけ、稽古熱心で真面目だったことなどがいささか説教臭く描かれた漫画はまことに退屈で、作者もあまり有名な漫画家ではありませんでした。

 作品の最後の頁では、急に若秩父の顔がアップになります。明日の取り組みで優勝が決まるという場面で、「はい、気合いを入れて土俵に上がります」などと威勢の良いことを言っています。おそらくこの漫画が描かれている途中で、編集部も漫画家も、どうやら若秩父は優勝しそうだと信じたのではないでしょうか。だが、実際には負けて優勝を逃してしまいます。そのためでしょう、顔のアップされたコマの下に、あたかもエピローグさながらに小さなコマが二つ並んでいます。ひとつめのコマでは、いきなり若秩父の姿が黒いシルエットで描かれ「しかし残念なことに、若秩父関は破れてしまいました」と言葉が添えてある。ふたつめの、最後のコマでは雲の浮かぶ空だけが描かれ、「これからも精進していくことでしょう。頑張れ、ぼくらの若秩父」なんて書いてある。

 これはなかなかヘヴィーな漫画だなあと思ったものでした。優勝寸前までいって、結局は手が届かなかったわけです。まさに若秩父は期待を裏切っています。漫画家のほうも、期待を裏切った若秩父の表情をどう描けばいいのか分からなかったのかもしれません。でも真っ黒なシルエットにしてしまうのが、わたしにはショックでした。笑顔で暮らしていた人がいきなり遺影となって描かれるように、期待に応えられなかった者はシルエットになってしまう。もはやホラーに近い手応えでしたね。最後の雲と空だけが描かれたコマも、空虚感が半端ではない。考えようによっては、あの漫画「若秩父物語」は相当な奥行きを持った作品だったのかもしれません。

 母にとっては、一人息子であったというのにわたしもシルエットの存在だったのかもしれないと想像すると、切なくなります。小学校三年生は、容貌において、母の期待を裏切っていると気付き始めていた時期でした。

文=春日武彦

1951年京都府生まれ。一人っ子。喘息持ち。甲殻類恐怖症。日本医科大学卒。産婦人科医として6年勤務するも、障害児を産んだ母親のフォローを契機に精神科医に
転向。都立精神保健福祉センター、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長、多摩中央病院院長などを経て、現在も臨床に携わるいっぽう、講演や研修講師なども数多く勤める。著書には、『不幸になりたがる人たち』(文春新書)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『老いへの不安』(中公文庫)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』(太田出版)、『私家版精神医学事典』(河出書房新社)、『猫と偶然』(作品社)、『援助者必携・はじめての精神科(第3版)』(医学書院)等多数。


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