古代宇宙飛行士説にも関係する!?〝不死の島〟ディルムンとは
元外交官であり、かねてよりTOCANAで宇宙人・UFOに関連する記事を執筆いただいている羽仁礼氏が、外交官時代に世界中のオカルト遺産を訪れて記録した書籍「世界のオカルト遺産 調べてきました(松岡信宏名義)」が彩図社より発売されている。エジプトからオーストラリア、果てはカリブ海まで足を運び、実際にオカルト遺産を検証している極めて貴重な書籍である。今回、特別に使用許諾をいただいたので、TOCANA編集部おすすめの話題を抜粋して紹介したい。第二回目の今回は「〝不死の島〟ディルムン」だ。(TOCANA編集部)
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●バーレーンに残る不死の島の伝説
バーレーンはアラビア半島から突き出たカタールと、サウジアラビア東海岸に挟まれた、ペルシャ湾の海上にある小さな島国だ。一番大きなバーレーン島を中心に、大小40もの島々からなる。総面積は約780平方キロだから、日本の佐渡島よりも小さい。
サッカーはそれなりに強く、ワールドカップのアジア地区予選では日本ともしばしば対戦しているから、名前を聞いたことのある人も多いかもしれない。だが、それでも日本人にとっては馴染みの少ない国のひとつだろう。
実は、このバーレーンには〝不死の島〟の伝説がある。
バーレーンには紀元前5000年頃から人類が居住しており、ディルムンという海洋国家の中心地になっていた。古代シュメール語でディルムン、アッカド語でティルムンなどと呼ばれるこの国は、メソポタミアの主神エンキの神殿があり、古代メソポタミアの聖なる場所と信じられてきた。
古代メソポタミアの文書の中でディルムンの神秘性を端的に表したのが、メソポタミアの古代都市、ニップルから出土した「エンキとニンフルサグ」という詩編である。この詩歌では何度もディルムンの地は神聖であると繰り返し強調され、そこには〝年老いた者も病人もいない〟と記されている。
また、『旧約聖書』の「ノアの洪水」の原型とされる「シュメールの洪水伝説」にもディルムンは登場し、大洪水を生き延びたジウスドラは不死となって住んだとされる。
ちなみにディルムンで祀られていたエンキは、古代メソポタミアにおいてはアヌンナキと呼ばれる神々の集団の一員とされている。
このアヌンナキについて独自の解釈を行うのが、イスラエルのゼカリア・シッチンである。彼は古代のシュメール語の文書を読み解き、『旧約聖書』などを解釈した結果として、アヌンナキとは44万5000年前に地球を訪れた宇宙人であると主張している。
シッチンによるとアヌンナキは、公転周期3600年の長い周期で太陽の周りを回る第12番惑星ニビルからやってきた。そして今から30万年前、その一員であるエンキとニンフルサグが当時アフリカにいた原始人を遺伝子操作して現生人類を生み出したというのがシッチンの主張である。シッチンが唱えるような、古代に飛来した宇宙人が人類に文明を授けたとする説を「古代宇宙飛行士説」と呼ぶ。不死の島ディルムンは、古代宇宙飛行士説の舞台でもあったわけだ。
●ディルムン遺跡実見記
サウジアラビアとバーレーンとは、ずっと海で隔てられていたが、1986年に両国をつなぐ全長25キロの海上橋キング・ファハド・コーズウェイが完成した。
バーレーンには現在でも、エンキの神殿跡や古墳群などディルムンの遺跡が数多く残っている。サウジアラビア勤務が2年以上過ぎたある週末、この橋を利用して、不死の島伝説を探るべく、遺跡見学のためバーレーンを訪れてみた。
アルコール類が一切禁止されるサウジアラビアと違って、バーレーンのイスラム教はいくぶん穏やかで、街中で酒類を買うこともできれば、豚肉を売っている店まである。そのため当時は週末の木曜日の夜になると、酒目当てに大勢のサウジアラビア人がバーレーンを訪れ、橋が混雑するという事態が生じていた。そこで混雑を避けるため、出発当日は朝早く出かけ、首都リヤドから400キロほど離れたコーズウェイを目指した。
時速100キロのスピードで疾走しても4時間かかる勘定になるが、その間道路の両側には、荒涼とした砂漠や荒れ野ばかりのすさんだ光景が続く。唯一アクセントとなるのが、時折道端に横たわっている、車にはねられたらしいラクダの死骸だったりする。
出発時間を早めたおかげで、昼過ぎには日本の高速料金所のようなコーズウェイ入り口が見えてきた。通行料20サウジ・リヤルを支払い、出入国関係の書類をもらって乗り入れると、すぐに潮風の匂いが漂ってきた。
日本大使館のあるリヤドは砂漠の真ん中にあるから、海の香りをかぐだけでウキウキした気分になってくる。その上、道路の両側に広がるペルシャ湾の青い海面と、青い空との境目に向けて道路がアーチを作り一筋の線となって伸びる光景には、ある種の爽快感、そして非現実感のようなものさえ感じた。
両国の出入国管理事務所は、橋の真ん中の人工島にある。必要な手続きを済ませると、そこから先はもうバーレーンだ。コーズウェイの終点は、首都マナーマのあるバーレーン島にある。まずはディルムン時代から3000年以上にわたって造営され続けた古墳群を目指した。島内には何か所もこの種の古墳群があり、その総数は8万5000基以上と言われる。
マナーマから南に向かうハリーファ・ビン・サルマン高速道路をたどると、10キロほどのところに、ベッドタウンとして作られたハマド・タウンがある。その直前を右に折れると、道路の左側はすぐに建物のない荒れ地となった。その荒れ地一面に、盛り上がった土まんじゅうが無数に並んでいる。これが島内最大のアアリ古墳群だ。最大のものは高さ10メートルというが、ほとんどは2、3メートル程度の小さなものだ。見方によっては大きなもぐら塚が並んでいるようにも見えるが、それでもスキー競技モーグルのコースのように見渡す限り土まんじゅうが並ぶ光景はかなり壮観である。
バーレーン島の北海岸には、ディルムン時代から繰り返し使用されてきたバーレーン要塞やバルバル神殿、さらにはエデンの園の跡とされる場所も残っている。
●海洋貿易の中継地ディルムン
バーレーン要塞では、さまざまな時代の建造物が発掘されており、ディルムン時代にはここに海洋国家の首都があったと考えられている。
少し西方のバルバル神殿跡には、同じ場所に時代を違える三つの神殿が建てられていたことが確認されている。神殿はいずれも古代メソポタミアの主神の一人として崇拝されたエンキと、その妻ニンフルサグを祀ったもので、最古のものは、なんと紀元前3000年のものだという。
メソポタミアから出土した粘土板文書でディルムンに言及する最古のものは、紀元前2520年頃生存した、南バビロニアのラガシュの王ウル・ナンシェの書板と言われているが、この神殿はそれよりも前に建てられたことになる。つまりディルムンはその頃から、神エンキの聖なる場所であったわけだ。
古代メソポタミア時代の粘土板に記された記録によると、ディルムンはバーレーンだけでなくアラビア半島東部の沿岸にも領土を持っており、メソポタミアとは盛んに交易を行っていたという。当時の商人の家から出土した書板や、大神殿への奉納物リストによると、ディルムンからメソポタミアに対しては、銅を中心に、象牙、亀甲、真珠などが運ばれ、ディルムンには羊毛や毛皮、衣服や胡麻油などが輸出されていた。ディルムンからメソポタミアに運ばれた代表的な産品である銅は、当時のマカン、つまり、現在のオマーンで産出されたものらしい。ディルムンは、メソポタミアとオマーン、そしてインドを結ぶ交易路の中継点として栄えていたようだ。
ディルムンはエンキを祀った聖地にして、海洋貿易の中継地として栄えた豊かな島だった。〝不死の島〟の伝説は、そうしたディルムンの姿に古代メソポタミア諸国が特別な畏敬の念を抱いた結果、生まれたものだったのかもしれない。
最後にアヌンナキを宇宙人とするシッチンの解釈についても触れておこう。シッチンはアヌンナキが人類を作り出したのは約30万年前と主張しているが、現在の人類学の通説では現生人類がアフリカで誕生したのは約20万年前のことである。そして何よりも、太陽系探査がかなり進んだ現代においても、彼の言う第12番惑星ニビルの存在は確認されていない。さらに言うと、専門家によれば彼のシュメール語解釈もあまり正確ではないらしい。少なくともディルムンと宇宙人は関係がなさそうである。
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2024.10.02 20:00心霊古代宇宙飛行士説にも関係する!?〝不死の島〟ディルムンとはのページです。メソポタミア、古代宇宙飛行士説、アヌンナキなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで