強制収容所に送り込まれた“人民の敵”が周辺の地域経済を繁栄させていた
ソビエト連邦にとって“人民の敵”であった当時の知識人と政治犯は国家崩壊後の社会にどのような影響を及ぼしたのか。新たな研究では彼らが住む地域は教育レベルが高く自発的に経済成長を遂げていることが明らかになっている。
■ソ連時代の“人民の敵”が地域経済を繁栄させていた
ロシア文学を代表する文豪の1人、アレクサンドル・ソルジェニーツィンは自身が収容された強制収容所にまつわる文学作品でノーベル賞を受賞したのだが、ソビエト連邦が発足したごく初期から、政権にとって彼のような知識人は潜在的な脅威とみなされていた。
スターリンの大粛清(1936~1938年)の最盛期には、知識人は“人民の敵”とされ150万人以上が逮捕された。そして、その半数が政治犯として処刑され、残りはソ連各地にある「グラーグ」と呼ばれる強制収容所に送られたのだ。
スターリン政権の闇の象徴であるこれらの収容所で収容者は非人道的な状況に置かれてしばしば拷問を受け、殺害された者もいた。一説ではグラーグの収容者の総数は2000万人にものぼり、そのうち約200万人が収容中に死亡したといわれている。
1953年のスターリンの死を契機に収容所は順次閉鎖されはじめ、1960年にグラーグは完全に廃止されたのだが、意外にも元収容者の多くは収容所の近くにとどまった。彼らの多くは当然だが自力で転居する経済力はなく、また解放当初は移動の制限が課せられていた。
したがってこれらの元収容者は閉鎖された収容所の近くに住み、地元のコミュニティに加わっていた。そこで重要なのは、解放後も彼らは依然として専門的知識を持つ教育を受けた人々であったことだ。特にソ連崩壊後にロシアが資本主義に門戸を開いた後、彼らの住むコミュニティは経済発展につながる人的資本のプールの役割を果たすことになったのだ。
ゲルハルト・トゥース氏とピエール=ルイ・ヴェジナ氏が今年1月に「American Economic Journal: Macroeconomics」で発表した研究は、教育レベルの高いグラーグの元収容者たちが近隣地域の長期的な経済的繁栄に影響を与えたという説得力のある証拠を提供している。
彼らの分析は、1952年のグラーグ収容所の分布と、2000年から2018年までの夜間電力消費量、賃金、企業の生産性などの現代の指標を結び付けて分析した。
分析の結果、“人民の敵”の割合が高い収容所の近くの地域では、経済活動が著しく活発化していることが浮き彫りとなった。たとえば元収容者の割合が28%増加すると、夜間の一人当たりの電力消費量は58%増加し、従業員一人当たりの利益は65%増加し、平均賃金は22%増加するのである。これらの指標は教育による経済的成功を示している。
調査によると元収容者の孫たちは同年代の者よりも平均して教育水準が高く、さらに彼らは祖父母が収容されていた収容所の近くに住む可能性が高く、知的影響の地理的連続性が機能していることが示唆されている。グラーグの元収容者のスキルと知識は受け継がれ、後世に恩恵をもたらす知的遺産になったのだ。
今回の研究は過酷な状況下でも教育が変革力を持つことを指摘している。人は投獄され、所有物をすべて奪われたとしても、誰もその者の知識を奪うことはできないのである。
もちろんもしもグラーグがさらに長く続いていたとすればこの僥倖は訪れなかったかもしれない。抑圧を受けない自由で支援的な環境で教育と人的資本を育むことの社会的価値は、地域の繁栄にとってかけがえのないものであることが思い知らされる話題である。
参考:「ZME Science」ほか
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