「私の言葉」で紡がれる恐怖の深層 ― 川奈まり子、『告白怪談』と怪異のリアルを語る
人はなぜ、怪談に惹かれるのか。
その答えのひとつは、「語り手の言葉」にあるのかもしれない。
5月27日に発売された怪談作家・川奈まり子の最新作『告白怪談 そこにいる。』(河出書房新社)は、すべての話が体験者の一人称で語られる実話怪談集だ。語り手自身の視点から始まる物語は、読者を深く引き込み、記憶の奥に沈んだ恐怖をリアルに浮かび上がらせる。
怪談というジャンルに真正面から向き合い、体験者の感情や背景をすくい上げてきた川奈まり子。今回のインタビューでは、本作の創作の裏側や印象深い一篇、さらには自身に降りかかった“怪異”についても語っていただいた。

――『告白怪談 そこにいる。』拝読させていただきました。一篇ごとに語り手の個性が感じられて、とても印象的でした。本作は「すべて体験者の一人称で書いている」ということですが、この形式を選ばれた経緯を教えてください。
川奈まり子(以下、川奈): 一人称で怪談を書くという試みは、実は怪談を書き始めた2014年頃から意識していました。廣済堂モノノケ文庫から出した『赤い地獄』という本に収録されている「八王子」という短編もその一つで、短いながらも好評でした。
ただ、自分の体験談だけではすぐにネタが尽きてしまいます。そこで、2015年には『実話怪談 出没地帯』(河出書房新社)というルポルタージュ形式の怪談集を出し、現場の雰囲気や体験そのものを伝えることを重視しました。この本も好評でイベントなども行いました。
2016年頃からは、体験談を取材して書くスタイルが定着しました。SNSでエピソードを募り、現地取材や資料調査を行いながら執筆していく中で、限られた文字数でどう読者を引き込むかが課題となってきました。
たとえば、「埼玉県在住のAさんはスーパーマーケットにお勤めで…」と説明から入るよりも、「私が…」と体験者自身の言葉で始めるほうが、読者がより早く物語に没入できるんです。この形式の効果に気づき、一人称で語る方法を追求するようになりました。
とはいえ、編集者の方には「全部川奈さんの体験談なんですか?」と誤解されたこともありました。そこで「私はその人になりきって書いている」という前提を明確にし、読者にも誤解を与えない“仕組み”を整える必要がありました。
その試みを本格的に形にしたのが、2022年に刊行された『東京をんな語り』です。フィクションも実話も、すべて女性の一人称で書いた作品集で、結果的に三刷になるなど高く評価されました。
今回の『告白怪談』は、そこからさらに発展した形で、語り手の性別や年齢を問わず、あらゆる視点の「一人称怪談」を収めたものです。河出書房新社さんにこの構想を伝えたところ、面白がってくださり企画が通りました。タイトルも「一人称の告白形式」であることがすぐに伝わるようにと、「告白怪談」に決まりました。

――中でも印象に残っている一篇はありますか?
川奈:私自身も気に入っていて、編集担当さんも「これはいい」と言ってくださったのが、「和裁寮」という話です。着物職人を目指す学生たちが共同生活を送る、いわゆる職業訓練校のような場所が舞台になっています。
実はこれ、呉服業界の“闇”を背景にした実話怪談で、かなり過酷なブラック労働の実態が描かれています。貧しい家庭の少女たちを集めて、低賃金で長時間働かせるという、今で言えば完全に違法な労働環境がそこにはありました。平成の頃まで実在していたその学校では、生徒の自殺や精神的な不調、異常な退学率が相次ぎ、さらに寮内では怪異も発生していました。やがて社会問題になる寸前で運営母体の呉服メーカーが「これはマズい」と判断したのか、表沙汰になる前に学校はひっそりと閉鎖されたんです。
この話は実際にその学校を卒業された方からお聞きしたものなんですが、彼女の人生にはさらに前日譚があるんです。それを私は別のアンソロジー『たらちね怪談』(竹書房怪談文庫)で「出窓」というタイトルで書いています。「和裁寮」に登場する語り手の少女時代の話ですね。
その少女は、家庭が崩壊してしまい、お母さんは自殺、お父さんも失踪という壮絶な過去を抱えていました。なんとか高校は出られたものの、親戚にも頼れず、一文無しの状態に。そこで「働きながら学べる場所」として彼女が選んだのが、その和裁の学校だったんです。着物が母の形見だったこともあって、自然とその道へ進んだようです。
こういう過去を持つ方は昔は本当に多かったし、今も似た境遇の方がいるかもしれません。看護師や自衛官、あるいは職人として生きていく――そんな選択肢のひとつだったんですよね。
私が怪談を書いていて面白いなと感じるのは、語り手の人生の断片を聞いているような感覚になることです。熱心な読者の中には、「この本に出てくる○○さんって、別の本にも登場してますよね?」なんて気づく方もいて。もちろん仮名を使っていますが、同じ人物が違う話を語っていることもあるので、作品をまたいで読み解いてもらえるのは、書き手としてとても嬉しいですね。

――例えばですが、取材はしたもののヤバすぎて本には載せられなかった話などはあるのでしょうか?
川奈:今回の本ではありませんが、過去に書いた作品で、編集部から「これを入れるなら発売中止もあり得る」とまで言われた話がありました。
ある地域で、長年特定の業種に関わる人々が集まって暮らしていた土地があって、そこにはかつて非常に重たい歴史的背景や社会的な事情があったんです。その地域のあるアパートで起きた怪異を取材したのですが、背景に触れすぎるとセンシティブな問題に抵触してしまう可能性があったため、詳細はカットしました。
実際、その場所では、その業種の男と思われる霊が室内に現れるという証言や、処理されずに残された井戸の上に建てられたことで「悪いものが集まっている」と霊能者が指摘するなど、かなり生々しい話がありました。けれど、土地の歴史を含めて語ってしまうと場所が特定されてしまうだけでなく、問題になりそうな恐れがあったので、怪異の部分だけを残して構成し直し、ようやく掲載にこぎつけたという経緯があります。
――私が川奈さんの怪談で一番印象に残っているというか、一番怖かったのは某殺人事件に関わる「欠番の家」なのですが、この話についてのエピソードは何かありますか?
川奈:あれは2017年の『実話奇譚 呪情』に書いたお話ですね。実はその後日談のような話を『京王沿線怪談』に書いています。
体験者の方にお話を伺うと、その方は学生時代、ごく普通の住宅街にある小さなアパートに住んでいたそうなんですが、すぐ近くの家がその殺人事件の犯人の家でした。当時はもちろんそんなことは知らず友人たちと楽しく過ごしていたのですが、ある晩、友人が件の家の前で人魂のような光が空中を飛び回っているのを目撃してしまうんです。
その瞬間、子どもの声や男の怒鳴り声、女のすすり泣きなどが頭の中に一気に流れ込んできて、恐怖でパニックになった友人は彼の部屋に逃げ込みました。その翌日、報道関係者らしき人々が周辺に集まり始め、近所の人たちの噂話から、ようやく“何が起きていたのか”を知ることになります。
場所も事件もある程度知られているものなので、固有名詞を出せば特定できてしまうのですが、それゆえに書けること、書けないことの境界は非常に繊細なんです。全くボツになる話というのはないんですけど、書けないことはたくさんあります。地名や背景の一部をぼかしながら、それでもリアリティと怪異の凄味を伝えるという点では、自分にとっても印象深い話のひとつですね。

――やはり気になるのですが、こういった怪異を取材されていくなかで、川奈さんご自身が怖い体験をされることもあるのでしょうか?
川奈:ありますね。実際に体験した中で特に印象的だったのが、「この話を聞くと幽霊が出る」と言われるエピソードを取材したときのことです。福島のある古い温泉街で代々置屋を営んでいた方から伺った話で、炭鉱跡地で出会ったという“汚れた子どもの霊”が、自分の息子たちの前にも現れるというものでした。
その話を彼が地元の飲み会で話したところ、「幽霊なんているわけない」と笑った女性がいたんです。ところがその夜、彼女の家に本当に幽霊が出たそうで……。夜中にふと目を覚ましたら、布団から出ていた彼女の手を、知らない子どもがぎゅっと握っていたというんです。あまりのことに後日、彼に謝ったという話でした。
すごく面白い話だったので、後日、深夜のTV番組の生放送でこのエピソードを紹介したんです。「この話を聞いた人のところに幽霊出るかもしれませんよ」みたいな感じで。するとその夜、今度は私の家で怪異が起きました。その日は夫が出張でいなかったのですが、家にひとりでいると、誰もいないはずの廊下を“高齢の男性の霊”がゆっくりと歩いていくのを見たんです。
さらにその晩、不思議なことに、夜中に突然固定電話が鳴って目を覚ましたんです。こんな時間に電話?と驚いて起きようとしたはずなのですが……気づいたら普段は降りることのないベッドの反対側の床に倒れていて、左肩がまったく動かず、激しい痛みに襲われていました。
何が起きたのか全く記憶がないんです。ベッドの高さはせいぜい70センチほどで、落ちたとしても骨折なんて普通はしない。それなのに、病院で診てもらうと「肩の骨が折れている」と言われて。しかもその折れ方が刀で切られたかのようにスパッと綺麗に折れていて、医師も首をかしげていました。
幸いだったのは、出張中だった夫が予定よりも早く帰宅してくれたことです。たまたま向こうでトラブルがあり、車で送ってもらったとかで明け方に帰ってきたのですが、そのとき私が倒れて激痛にウンウン言ってるのに気づいて、すぐに病院に連れて行ってくれました。
ちなみに、あのとき鳴ったはずの固定電話――履歴を確認しても、着信記録は一切残っていなかったんですよ。いまだに、何だったのかはわかりません。
そんなふうに、怪異を追っていると色々な目には遭うんですけど、それも全部書いていたりするし、ネタにしてたりっていうのはありますね。

――川奈さんから、怪談が好きな方、あるいは怪談に興味を持ち始めた方へメッセージをお願いします。
川奈:怪談好きな方って、きっとたくさんの話を読んだり聞いたりしていると思うんですが、怪談を書く人や語る人って本当に多種多様なんですよね。それぞれにスタンスがあって、怪異との距離感や話への向き合い方も全然違う。だから私は、「こうじゃなきゃダメ」「これが正解」といったことは、極力言わないようにしています。
怪談って、とても自由なジャンルなんです。だからこそ、自分が「面白い」「好きだ」と思える作家さんや語り手を見つけて、その人の話を楽しんでほしい。それでいいと思います。
よく「怪談はとにかく怖くなきゃダメ」と言う人もいますけど、私はそうは思っていなくて、必ずしも“怖さ”が第一じゃなくてもいいと思っています。むしろ、何か一抹の不思議さや、説明のつかない違和感――そういうものが少しでも感じられたら、それはもう十分“怪談”として成立しているんじゃないかな、と。
たとえば、人間の怖さだけを描いた話――DV加害者の証言や、実際の事件の記録のようなもの――そういうのも確かに怖いですよね。でもそれは“怪談”というより“リアルな恐怖”というジャンルかもしれない。怪談にはやっぱり、何かちょっと不思議さがあってほしいんです。辻褄が合わないような感覚というか、「そんな変なことって本当にあるの?」と思わせる何かがあると、それだけで十分に“怪談”になる気がします。
怪談本の読み方についても、順番通りにきっちり読む必要はないと思います。ふと気になったタイトルから読んでみるとか、パッと開いたページから読んでみるとか、つまみ食いのように楽しむのも、怪談ならではの楽しみ方だと思いますよ。
――今後の出版の予定などはありますか?
川奈:はい、まず6月30日に『一〇八怪談 隠里(かくれざと)』(竹書房怪談文庫)が発売されます。それから9月には、晶文社から出した『家怪』の加筆修正版が、文庫版として集英社から刊行される予定です。どちらもぜひ手に取っていただけたら嬉しいです。
――本日はありがとうございました!

取材を通して感じたのは、川奈まり子という作家の怪異に向き合う姿勢の誠実さだ。恐怖を消費せず、語り手の人生ごと丁寧にすくい上げるその作品には、怪談作家としての覚悟が確かに表れていた。
怪談には、その人物の声や感情だけでなく、人生の一部までもがにじみ出る。ページをめくるたび、他人の記憶や体験をそっと覗き見るような感覚になるのが、川奈作品の大きな魅力だ。
ただ怖いだけではなく、人間の奥深さまでも描かれているからこそ、読み終えたあとにも余韻が残る。怪談に少しでも興味があるなら、ぜひ一度、川奈まり子の作品に触れてみてほしい。

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