歴史を変えた奇跡の暗殺失敗劇5選!“ポンコツ”だった暗殺者たち

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画像はUnsplashAnil Sharmaより

 歴史は、成功した暗殺者を記憶する。だが、その裏には「どうしてそうなった?」と思わずツッコミを入れたくなるような壮大な失敗を犯した者たちがいた。

 これから紹介するのは、賢い逃走劇や完璧な計画とは無縁の物語。弾を詰め忘れたり、神がかり的な不運に見舞われたり、分厚いテーブルの脚に計画を阻まれたり…。歴史の片隅で、最高にダサい失敗を犯した5人の暗殺者たちの、愛すべき(?)失敗談だ。

1. 二丁の拳銃が不発!神に愛された大統領 vs 12万5000分の1の不運

(リチャード・ローレンス vs アンドリュー・ジャクソン大統領、1835年)

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By Ralph E. W. Earl. Public Domain, via Wikimedia Commons.

 1835年1月、じめじめとした朝のこと。当時67歳だったアンドリュー・ジャクソン大統領が、議事堂での葬儀を終えて外に出た。その瞬間、失業中のペンキ塗り、リチャード・ローレンスが歩み寄り、デリンジャーピストルを構えて引き金を引いた。

 カチッ…!不発だった。

 焦ったローレンスは、すぐさま二丁目のピストルを抜き、再び引き金を引く。

 カチッ…!またしても、何も起こらない。

 二丁の拳銃が、二度とも完璧に不発。その確率は、実に12万5000分の1。激怒したジャクソン大統領は、持っていた杖でローレンスに殴りかかり、周りが引き離すまで殴打を続けたという。

 後の調査で、ピストルは正常に機能することが確認された。どうやら、湿気で火薬が濡れていたのが原因らしい。ローレンスは「自分はイングランド王リチャード3世だ」などと意味不明な供述を続け、精神病院に収容された。アメリカ史上初の大統領暗殺未遂事件は、神がかり的な不運のおかげで未遂に終わったのだった。

2. 「それくらいじゃブル・ムースは殺せんよ」演説原稿が救った命

(ジョン・シュランク vs セオドア・ルーズベルト元大統領、1912年)

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From the Library of Congress. Public Domain, via Wikimedia Commons.

「ルーズベルトの3期目を阻止せよ」――故マッキンリー大統領の亡霊にそう囁かれたと信じ込んだ男がいた。ジョン・シュランクだ。彼はルーズベルトを追いかけ、ウィスコンシン州ミルウォーキーでついにその機会を掴む。

 シュランクはコルト社製.38口径リボルバーを抜き、ルーズベルトの胸をめがけて発砲した。しかし、弾丸は思わぬ障害物に阻まれる。分厚い50ページの演説原稿の束を貫通し、さらにその下にあった鉄製の眼鏡ケースを粉砕。肉体に達する頃には、その勢いはすっかり失われていた。

 胸から血を流しながらも、ルーズベルトは屈しなかった。彼は聴衆に向かってこう言い放ち、1時間半の演説をやり遂げたのだ。

「これくらいで、ブル・ムース(彼の愛称)は殺せんよ」

 弾丸は危険すぎるという医師の判断で、彼の胸に生涯留まることになった。一方、シュランクは精神異常と診断され、施設に収容された。

3. 「えっと、弾は…?」マンソン信奉者の初歩的すぎるミス

(リネット・“スクイーキー”・フロム vs ジェラルド・フォード大統領、1975年)

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Photo by David Hume Kennerly. Public Domain, via Wikimedia Commons.

 カルト指導者チャールズ・マンソンの熱心な信奉者、リネット・“スクイーキー”・フロム。彼女は1975年9月、カリフォルニア州サクラメントでフォード大統領に接近した。

 群衆の中から現れた彼女は、大統領に向かってコルト.45口径のピストルを突きつける。そして引き金を引いた――が、何も起こらなかった。なんと彼女、ピストルの薬室に弾を込めるのを忘れていたのだ。

 大統領が冷静にその場を離れる中、フロムは呆然と立ち尽くし、すぐにシークレットサービスに取り押さえられた。彼女は後に「大統領を殺す気はなく、環境問題への注意を喚起したかっただけ」と供述した。終身刑を言い渡された彼女は、約35年服役し、2009年に釈放されている。

4. プレゼント包装が仇に…手榴弾をきつく包みすぎた男

(ウラジミール・アルチュニアン vs ジョージ・W・ブッシュ大統領、2005年)

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Photo by Eric Draper. Public Domain, via Wikimedia Commons.

 2005年、ジョージア(旧グルジア)の首都トビリシ。ブッシュ大統領が群衆の前で演説している最中、ウラジミール・アルチュニアンはソ連製のRGD-5手榴弾を投げ込んだ。

 赤いハンカチに包まれた手榴弾は、演壇近くに落下。しかし、爆発は起きなかった。なぜか?アルチュニアンが手榴弾をハンカチで「きつく包みすぎた」ため、安全レバーが作動せず、不発に終わったのだ。ブッシュ大統領がこの事件を知ったのは、数時間後のことだった。

 後に逮捕されたアルチュニアンは、すべてを自白し終身刑となった。

5. ワルキューレ作戦。ヒトラーを救った、たった1本のテーブルの脚

(クラウス・フォン・シュタウフェンベルク vs アドルフ・ヒトラー、1944年)

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German Federal Archives, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons.

 歴史上最も有名な暗殺未遂事件、「ワルキューレ作戦」。クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、東部戦線の総統司令部で、ヒトラーの足元に時限爆弾入りのカバンを置いた。

 爆弾は爆発し、会議室は粉々になった。しかし、ヒトラーは生きていた。爆風の威力が、分厚いオーク材のテーブルの脚に阻まれ、奇跡的に致命傷を免れたのだ。爆発の直前に、彼がわずかに身を乗り出していたことも幸いした。

 作戦は失敗。首謀者たちは即座に処刑され、その後の粛清で5000人近くが命を落とした。たった1本の頑丈な家具が、世界の歴史を大きく変えてしまったのである。

 歴史の歯車は、時にこんな些細な偶然で大きくその向きを変える。

 銃の湿り気、胸ポケットの原稿、そして分厚いテーブルの脚…。もし、これらの「もしも」が一つでも違っていたら、私たちの知る世界は今とは全く異なる姿をしていたのかもしれない。

 成功した暗殺が歴史を創る一方で、壮大に失敗した暗殺は、私たちに「運命のいたずら」という、もう一つの物語を教えてくれるのだ。

参考:Listverse、ほか

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