アインシュタインの脳の“50年間に及ぶ奇妙な逃避行” ― 科学のためか、狂気か… 天才の脳を盗んだ男

「私は運命のなすがままだ。自分ではどうすることもできない」
1955年4月18日、20世紀最高の天才科学者アルバート・アインシュタインは、そうドイツ語で呟き、76年の生涯に幕を閉じた。彼の遺体は、その日のうちに火葬された。しかし、その時、誰も気づいていなかった。彼の最も貴重な“遺産”―天才的な頭脳そのものが、一人の病理医によって、密かに盗み出されていたことを。
遺族に無断で…検死医が犯した、世紀の“脳泥棒”
事件が発覚したのは、火葬の翌日だった。アインシュタインの息子、ハンス・アルバートが、父の遺灰を受け取る準備をしていた時、ある衝撃の事実を知らされる。父の遺体から、脳が丸ごとなくなっている、と。
犯人は、アインシュタインの検死を担当した病理医、トーマス・ストルツ・ハーヴェイだった。彼は、「科学的研究のため」と称し、遺族の許可を得ることなく、アインシュタインの頭蓋骨をのこぎりで切り開き、その脳を摘出してしまったのだ。激怒する息子に対し、ハーヴェイは「天才の脳の謎を解き明かすためだ」と説得。渋々ながら、その所有を認めさせた。
ビールクーラーの中に眠る、240個の“脳の欠片”
ハーヴェイは当初、アインシュタインの脳を研究し、その秘密を解き明かす論文を発表すると約束していた。しかし、その論文が世に出ることは、ついになかった。そして、いつしか「アインシュタインの脳を盗んだ男」の存在は、世間から忘れ去られていった。
再びその名が世に知れ渡ったのは、事件から23年後の1978年のこと。一人の記者が、ハーヴェイの行方を突き止め、カンザス州ウィチタの彼の自宅を訪れた。記者が「アインシュタインの脳の写真を見せてほしい」と頼むと、ハーヴェイはおもむろに、ビールクーラーの蓋を開けた。その中にあったのは、ビールではない。ホルマリン漬けにされた、無数の脳の切片が入った、ガラス瓶の山だった。
ハーヴェイは、盗んだ脳を計測し、写真を撮った後、240個もの断片に切り分け、保存していたのだ。彼は脳の専門家ではなかったため、その一部を神経学者たちに送り、研究を依頼したが、彼らからは「凡人の脳と大差ない」という、期待外れの答えしか返ってこなかったという。

50年の時を経て、ついに“返還”された天才の脳
このスクープ記事によって、アインシュタインの脳は再び世界の注目を集めることになった。そして、さらなる詳細な研究の結果、彼の脳には、常人とは異なるいくつかの特徴があることが後に明らかになっていく。
ハーヴェイは、2007年に94歳で亡くなるまで、アインシュタインの脳の大部分を、まるで自分の所有物であるかのように、肌身離さず持ち歩いていた。彼の死後、残された脳の切片は、ようやく国立健康医学博物館やフィラデルフィアのムター博物館などに寄贈され、50年以上にわたる奇妙な逃避行に終止符が打たれた。
科学への純粋な探究心か、それとも天才への歪んだ執着心か。トーマス・ハーヴェイという一人の男が犯した、常軌を逸した“脳泥棒”。その行為は、倫理的には決して許されるものではない。しかし、彼のその奇妙な執念がなければ、アインシュタインの脳の秘密が、永遠に解き明かされることはなかったのかもしれない、と考えると、歴史の皮肉を感じずにはいられない。
参考:LADbible、ほか
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2024.10.02 20:00心霊アインシュタインの脳の“50年間に及ぶ奇妙な逃避行” ― 科学のためか、狂気か… 天才の脳を盗んだ男のページです。脳、アインシュタインなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで
