■エベレスト登山は登山じゃなくて観光旅行(服部)
―― 野営地で焚き火を起こして夜を過ごす間、どんなことを話したんですか?
石川:服部さんが一人でサバイバル登山をしている時のこの時間、何を考えているのかが気になっていて、それを尋ねたのを覚えています。
服部:地図はよく見ますね。翌日のルートで魚がいるポイントをチェックしたり滝の状態をイメージしたり。その日の出来高を参考にその先をちょっと見ておく。石川くんと行ったときは何をしてたかな。馬鹿話?
石川:服部さんがなぜサバイバル登山をしているのかとか、登山哲学みたいなものを。
服部:そんなこと話してたっけ? 「イワナ、うまいよね」とかそんな話じゃなかった?
石川:そんな話を間に挟みながら、ヨーロッパで始まった登山が装備の進歩で登るべき場所がなくなって宇宙に向かった。それが文学にも反映されているっていう話でしたね。
―― 技術の進歩で誰でもエベレストに登れる時代になったっていうことでしょうか?
服部:そうですね。「でも、あれは登山じゃないよ」っていう話。
―― 登山じゃない、と言いますと??
服部:レクリエーションですね。
石川:(笑)
服部:登山は何が起こるかわからない場所や人間がまだ行ったことのない所に自分が、もしくは人類が行けるんだよっていう表現だと思うんですよね。誰かが作ったルートを登るのは観光旅行なんですよ、っていうような話をしてたのかな。
―― 著書のなかで、服部さんは山登りをする人を「観光客」「登山者」「登山家」の3種類に分けて論じていましたね。もはやエベレストを登るのは観光旅行に過ぎないということですね。
服部:登り方によりますけれど、限りなく観光に近いです。決まったルートにシェルパが張ったロープを辿って、ボンベから酸素を吸いながら山頂に行ってくるだけ。体力的には大変だし個人的な新しい発見はあるかも知れないけれど、人類史的な意味では何も新しいものはない。もはやビジネスになっているから、エベレストのノーマルルートでの商業登山、っていうかエコノミックな感じで集まって登るのは登山じゃないんじゃないのかな。
―― 西欧由来の近代の産物である科学技術の進歩によって、登山が登山ではなくなってしまった。
服部:登山そのものが科学技術と非常に仲のいいものなんです。登山では、人間に何ができるかを科学の力も使って追求してきました。もともとは何を使ってもよかったんです。北極探検も南極探検も何を使ってもよかった。最終的には飛行機で、北極に関しては砕氷船で行って、それがいまや観光ツアーになっているわけですけれど、そういうふうに、登山と科学は仲よく力を合わせてやってきたんです。それで我々はもう登る場所がなくなっちゃったわけですね。「僕らが山でやっていることは同じなんだけど、ちょっと筋が違う」みたいな話をしてたのかもしれない。