石川:そのあたりから登山と文学が繋がり、文学に山のことが出てきたっていう話が面白かったです。魔女狩りのこととか。
―― 登山と文学がどう繋がっているんですか?
服部:日本の場合は山頂まで裏山の延長で行けるんですけれど、ヨーロッパの高山とかヒマラヤは裏山の延長で登れる所じゃないんですね。その違いが日本人の日本の山に対する考え方とヨーロッパ人のそれとの違いだと思うんです。キリスト教では山の上には悪魔が住んでいるというように解釈していたんですよ。それが科学技術の起こりとともに、ルネッサンスの時代から少しずつ変わっていくんです。
―― そうなんですね。
服部:魔女や悪魔という概念には、そんな山のイメージが反映されているんですよね。昔の絵に描かれたキリスト教の悪魔の顔って山羊の顔なんです。山羊は山に住む動物で、それが悪魔のイメージだった。実際にモンブランの高い所とかに行くと酸素が薄いから息苦しくなるし生き物はほとんど住んでいない。我々人間が住む場所とは違い、何が起きているのかわからないっていうのがルネッサンス以前のヨーロッパ人の山の見方なんです。そこに科学技術が入ってきて、モンブランが1786年に初登頂され、それからヨーロッパの山がどんどん登られていくなかで山のイメージが変わってくる。それに伴い、文学に描かれる山の描写がより親しみを持った形に変化してきた、というのが僕の卒論だったんです。たぶんその話をしたのかもしれない。
―― 面白いですね。キリスト教的に言えば自然は征服の対象であり、アジアの思想からすれば、敬い共存していく対象だという話を聞いたことがあります。
服部:ヨーロッパ人が共存している面もあるし日本人が滅茶苦茶にしている部分もあるから十把一絡げに言えないけれど、おおまかにそういう見立てはできるかもしれませんね。
―― 焚き火を見つめながらそんな話をしていたんですね。男のロマンだ。
服部:そんなことじゃなくて、暇なだけです(笑)。そんな難しい話をしてたわけじゃないもんね。