マヤ文明の末裔がジャワ島に渡来していた!? ピラミッドに共通点多数発見、現地調査で見えた“知られざる真実”
■ピラミッドの頂上で何が行われていたのか?
それにしても、このような建造物が作られた目的とは一体何だったのか。そして、ピラミッドやレリーフが、ジャワにある他のヒンドゥー寺院で見られるものとは完全にかけ離れており、マヤ文明のものに酷似している理由とは何か――。
1999年9月、再度ジャワ島を訪れた際にも、筆者はこのチャンディ・スクゥに足を運んだ。その時は、頂上で瞑想をしてみたのだが、始めてからしばらくして、尾てい骨のムーラダーラ・チャクラを刺激されるような感覚があった。エジプトのピラミッドパワーをかたどった模型を尾てい骨の下に敷くと、性欲を刺激されるという話もあるが、それに近い状態だったのか。
なお、チャンディ・スクゥはジャワ島で昔から行われてきた精霊崇拝の地に位置しているという。そのような経緯から、性的な要素が強い密教的な信仰をもつ集団によって建造されたならば、ピラミッドの頂上では、性的な儀式が行われていたのかもしれないという妄想も湧いてきた。チャンディ・スクゥはヒンドゥー教の寺院として建てられたが、それだけではなく、やはりジャワ独特のアニミズムやインドのタントラ派の影響がかなり入り込んでいるように思われる。
一説によると、15世紀ごろジャワ島にイスラム勢力の力が浸透してきたことで、ヒンドゥー教文化を守ろうとする王族たちは、東ジャワや中部ジャワの山中に逃げ、チャンディ・スクゥもそうした王族たちによって建てられたとされる。そういえば以前、ラウ山の東の中腹にある町に行ったこともあるが、その周辺では、目鼻立ちがはっきりした高貴な顔の住民を数多く見かけた。もしも、彼らが王族の血を継ぐ人々だったら――。
■やはりマヤ人はジャワ島に渡来した!?
さて、ここまで述べてきたチャンディ・スクゥとマヤ文明の遺跡の類似点を整理すると、次のようになる。
・ ピラミッドの形状が酷似している
・ レリーフの様式も酷似している(丸みがある人体などの描写)
・ どちらも、レリーフの顔は正面ではなく横顔ばかりである
マヤ文明の歴史は長く、時代とともにピラミッドなど建築物の様式も大きく変化していった。チャンディ・スクゥがマヤのピラミッドに似ていると一口に言っても、よく比較検討してみると、マヤ文明の時代区分における古典期前期に当たるティオティワカンのピラミッドよりも、後古典前期のチチェン・イッツァや、後古典後期のマヤパンのピラミッドに似ているようだ。とりわけ、古典期前期のチチェン・イッツァ時代に建てられたピラミッドに最も近いように思われる。
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